近況:本業やや忙しく、ゲームが1日0時間気味。

DQX:私はあの子の郵便屋さんとしてセレドを行き来するだけの一生が欲しい

日記の返却を拒まれて呪う意思表示をするルコリア(DQ10)

わたし(管理人)

本記事は他のゲーム系メディア向けに草稿を代筆したものをメディア閉鎖に伴って権利ごと買い戻し、自サイト用に加筆修正したものです。

豹変したマルティナに焦るグレイグたち(DQ11)
私の好きなドラクエの女性キャラと言えば、マルティナさんとかミレーユさんとかで、つまり「あ〜あの顔ね(ツリ目の)」って言われてしまう一貫性があって、その影響は本業私生活趣味にも「あ〜(ツリ目でまぶた広めだね)」って感じでだいぶ出てしまっているんですが、ドラクエ10ではなかなかその「あ〜あの顔ね」が街角のモブ(アズランの入り口に立ってるカヤヌさんとか…)以外に居なくてヤキモキしていたんですが、ある街に辿り着いたら完全に「あ〜あの顔ね」と言われる待ち望んだキャラクターが現れたので安心しました。

*ネタバレですが大丈夫ですか?
ドラクエ10:レンダーシア到着以降〜セレド全部
クエスト317「垣間見えた景色」の手前まで必須
ドラクエ11:命の大樹到達以降のラムダで知ること
まで進行した話題が含まれています。
また一部に、漫画『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』の竜騎将バラン戦の話題を含みます。


(リゼロッタ女王様親衛隊ミラカさんのキャラデザインもパーツ別に見れば「あ〜あの顔ね」の方面なのだが、輪郭が違うのだ…。私の「あ〜あの顔ね」は、輪郭込みで「あ〜あの顔ね」なのだ…。)
リゼロッタの登場(DQ10)
以後アストルティアの未来と世界平和は、ほかの冒険者さんたちにお任せするので、私はと言いますと、せっかくブレイブストーンも使えるわけですし、リゼロッタさんとルコリアさんの文通を支えて、…それはもう、朽ち果てるまで支えて、セレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドとセレドを行き来するだけの郵便屋さん的な存在になりたいです!
姉リゼロッタの遺品を手に取った妹のルコリア(DQ10)
本当に大切な言いたいことは先に言いました!以上!

もうルコリアには届かない日記はこれでしょうか。
リゼロッタの机を挟んで主人公(DQ10)
いや、日記なんかあんまり開きっぱなしにしないか。偽セレドで初めてリゼロッタさんの私室にお邪魔した際はこの本を開いた状態で何やらリンジャの塔に関する書物の内容に触れていたのでこれはその本かも…。
そもそも偽の世界でのビジュアルもピンクの可愛い日記帳のままだとしたら見当たらないので、どこかにしまってあるのかもしれません。

さて、DQ11に於いて一番好きなキャラクターはマルティナさんなんですけども、双賢の姉妹ベロニカ・セーニャにもグッときている私は、そもそも姉兄妹弟モノに弱く、なんなら実の兄妹じゃなくても、DQ10のヒューザとソーミャを見てグッときましたし、もうなんか、誰かと誰かが深いところで手をつないでいるような絆が垣間みれればなんでもいい。そういうの好き…。だけど殊更、姉兄妹弟モノに弱いです…。

生まれた時から賢者の片割れずつとして育ち、ベロニカとセーニャは“世界の存亡”という凄まじいものが懸かった、深くて大きな使命を持っています。出会って間もなく、二人は勇者に命に代えても守ることを躊躇いなく清々しく誓います。
一方のルコリアとリゼロッタは双賢と比べたら小さな使命かもしれませんが“町長の娘”という重圧。
父ブラトに叱られるルコリア(DQ10)
いい子でいることを求められるプレッシャーをずっと背負っています。世界とは関係ないけど、二人が生きている社会の中では大きな使命だったでしょう。
リゼロッタの死に厳しい言葉をかける父ブラト(DQ10)

そんな苦楽を共にした中でその片割れが若くして死んでしまう。…打ってて「な、な、なんてベタなストーリーなんだ!」と思わずにはいられませんが、やっぱり悲痛なことですよね。そしてベタというのは王道と同じ道にあって、王道には王道たる所以があるわけで、わかりやすく響き易いなと思います。(私はそれ以前にリゼロッタさんとルコリアさんみたいなキャラメイクの顔立ちが好きなので仮にストーリーがどんなものだったとして、二人のことはドラクエ10で一番プッシュしたはずですが…。)

世界の危機にベロニカは決断する(DQ11)
ベロニカとセーニャは二人とも最後まで私欲ではなくて、相手を思いやる姿勢が一貫しているのが痛ましいです。世界が壊れるともなれば「死なば諸共状態」か「あなたたちだけでも生きて」の二択に強制的になっちゃっているわけですが、だとして一瞬の迷いも見せずに運命に立ち向かっていくベロニカの最期は賢者として正義としてお姉ちゃんとしての生き様の集大成だったと思います。セーニャもセーニャで、姉の鋼のような意志をしっかり受け継いで、一生ベロニカの妹でありながら、もう姉のいない、たった独りで自ら姉のように生きるしかない状況に気丈に挑んだ姿は痛々しくてとても強くて圧巻でした。
ベロニカの死を受け止めるセーニャ(DQ11)

こういう形の最期を迎えたばかりの時は、振り返るセリフの1つ1つがどれも愛らしくて悲しくてなりませんでした。のんびりしたセーニャさんが紛らわしい倒れ方(笑)をしていた時だとかも。

ベロニカ
「セーニャ……セーニャったら!
ちょっと しっかりしてよっ!
「どんな時も ずっと一緒だって
約束したじゃない……。
ねえ 返事してよ セーニャ……。
荒野の地下迷宮でのムービー「ベロニカとセーニャとの出会い:セーニャとの出会い」より

すべてがこの死別の伏線だったと思うと、にくいですね。

ベロニカとセーニャのアクターさんは、芝井美香さんですが(場面によって、一部谷山尚未さんもご担当された模様です。ご本人のTwitterより。)ムービーシーンはどこも素晴らしかったです。Twitterによるご本人談では、芝井さんがファーリスくんやマルティナさんの技(セクシービーム)も演じているそうです。あまりの芸達者にビックリ…。

ベロニカとセーニャにせよ、リゼロッタとルコリアにせよ、「また生まれてくる時もあなたと…」みたいなのが本当にいいです…。もう一度まったく同じ人と、同じ自分で人生を送りたいって凄いことじゃないですか。

ベロニカ
「あたしは どうなっても いい……。
みんな 絶対に 生きのびて
アイツから 世界を救ってちょうだい!
「セーニャ……。
またいつか 同じ葉のもとに 生まれましょう。
聖地ラムダでのムービー「新たなる旅路:ベロニカの最期」より

命の大樹がウルノーガの力によって侵される中、ベロニカは最期、何かを口にします。字幕はないのでなんと言ったのか正確には分かりませんが、口の動きからすると「メガンテ」ではないかな…と私は思っています。

でもベロニカってメガンテ持っていたっけ?と思ってステータス画面を見てみたものの、習得していません。ゲームプレイとして“ベロニカがメガンテを使えるか”では“使えない”なのですが、それは“コマンドとしては通らない”だけの話。…として考えてみつつ、自分のセーブデータや記憶をソースに歴代のシリーズでのメガンテ習得者を振り返ってみました。
IとIIは手元にないので確認できず、IIIで僧侶と賢者(?)、VIは…居ない?(たしかメガザルとメガンテの腕輪だった)気がします。Vでサンチョ、VIで賢者、…VIIとVIIIはちゃんと進めたセーブデータがないので確かめられず…、IXでパラディン、Xは手元のキャラクターを見たんですが全職カンストはまだな上に物理攻撃を伸ばしたキャラが多いので、誰も習得していませんでした。これは敵しか使わないやつかな…?XIではロウがメガンテ、セーニャとグレイグがメガザルを持っています。…あと…ばくだん岩とかですね(笑)かなりカジュアルに命懸けてきますよね。

VIではメガンテを使える職業である賢者になるために魔法使いと僧侶を修める必要があるので、メガンテの系譜に魔法使いがいないわけではない…という解釈もできるのかな…。
また、セーニャ・ベロニカと同じ世界観の中に在るロウも、職業分けしにくいですが、僧侶・魔法使い・賢者的な呪文と特技を併せ持っています。それぞれの要素を同一個体の内に秘めることは可能なのでしょう。

また、外伝的な作品ですが『ダイの大冒険』という漫画(文庫版だと7巻の範囲)では、魔法使いであるポップが、僧侶ではない自分にもメガンテを唱えられることと、僧侶ではなく魔法使いの自分がメガンテを唱えた場合どのようなリスクを伴うかエクスキューズを入れた上で、仲間を守るために命を懸けてメガンテを唱えます。(平たく言うと、僧侶が使えば蘇生の可能性はあるけど、魔法使いが使ってしまうと本当に死ぬ、というのがメガンテ使用時の注意点でした。)

勇者を守る使命を背負って生まれた大魔法使いベロニカ様だもの、メガンテぐらい本当はもともと使えた気がする…ってことで、私の中で落としどころ見つけて。ベロニカは最期に「メガンテ」を唱えたんじゃないかな、と。
口の動きが似てるので、ただ「さよなら」だった可能性もありますし、他の呪文の可能性もありますが…。他の呪文は4文字であの規模の演出になるものあったかな…。
「さよなら」だったら字幕が入るんじゃないかという気もしますが、爆風や轟音にかき消された「さよなら」という演出で、字幕がついていない可能性もありますね…。う〜ん、気になります。
気になりますが、独りで最期に立ち向かった人の最期の言葉は本来なら誰ひとりとして知れるものではありません。ベロニカは独り大樹のもとに残り死んだのです。彼女の言葉を聞ける人なんて本当は居なかった。
自分の命と引き換えに全員を脱出させるベロニカ(DQ11)
大人になるにつれ別れる人の数が増えることは普通避けられません。私は今アラサーなんですけども、ひとりで亡くなった身内や友人たちを数えるにも両手ではとうに足りなくなりました。“最期に立ち会う”というのは物理的距離の運やタイミングの運が揃った状況でしか起きないことなので、故人が日常的に孤立していたかどうか・家族が居るかどうか・人に気にかけてもらっていたかどうかを必ずしも問わず、ひとりで亡くなる人というのは普通に居ますし、結構多いようにも思います。そういう時、「最後に何か言っただろうか」「最後に何を見ていただろうか」「最後にしようとしたことは何だろうか」みたいな、答えを誰も知らないことを考えてしまうのもよくあることです。
だから、「きっと“メガンテ”に違いない!」と断定してみたところで付いて回る「あの時ベロニカはなんて言ったんだろう」という感覚も含めて、この場面に字幕がないのが妙にリアルだなと思いました。
(まあでも、「メガンテ」だろうって思っていて、なんでそんな希望的観測になるのかと言うと、それが一番悲壮だから。ストーリーメイキングとしてはそうであって欲しいと思いたいんですね。キャラクターへの思い入れとしては、ベロニカにそんな目に遭って欲しいわけでは絶対にないのですが…。)

ただ。ベロニカは「最後の字幕がなかったところは何て言ったの?」という関心を多くのプレイヤーに残したものの、共に旅をした仲間たち、そして妹のセーニャは特に、ベロニカが最期に何を望み、(あの状況下では)何が本懐だったか、を絶対に絶対に絶対に全員が分かっているので、自分たちが生きている以上ベロニカが何も後悔していないことは絶対に全員知っていて、その上で遺された人たちなので、そこは大きな救いでした。
形見の杖を残してベロニカが散っていった(DQ11)

さてさて、ロトゼタシアの姉妹も屈強で素敵な姉妹ですが、レンダーシアの姉妹も非常に健気です。
ルコリアと父母と最初で最後の邂逅を遂げるリゼロッタ(DQ10)
こちらは双賢と比べて、“本物の子供”というイメージがあります。セレドが「子供だけの町」だからというのが大きな理由でしょうか。
酒場で酔っ払っている大人に正論を述べるルコリア(DQ10)
ただ、体格こそ幼い頃のマルティナさんと同格に見えますが、言動から察するにティーンだろうな…とは思いますし、双賢は運命に選ばれた賢者っていうテンションだからああなった感じはあるでしょうから、セーニャもベロニカもリゼロッタもルコリアも案外、年齢が大きく離れているわけではないのかもしれませんね。どうなんでしょう。リゼロッタさんとルコリアさんがベロニカさんとセーニャさんと同じ使命を負っていたら、やっぱりあのくらい大人びて見えた気がします。

ルコリア
「姉さん……。
私 生まれた時から ずっとそばにいて
何もかも 姉さんに頼りきりだったけど……
「もう ひとりでも やっていけるわ。
これからは 姉さんがいなくても 大丈夫よ。
今まで ありがとう……。
真のダーマ神殿でのムービー「眠れる勇者と導きの盟友:ver2.1重なりし運命の大地:セレドのおはなし:ひとつの姉妹の生と死」より

リゼロッタ
「あり…とう ルコ…ア……。
それを聞いて 安心…て
この世を 去…ことができるわ……。
「次 生…れてくる時も また……
あなたと……
真のダーマ神殿でのムービー「眠れる勇者と導きの盟友:ver2.1重なりし運命の大地:セレドのおはなし:ひとつの姉妹の生と死」より

ベロニカとセーニャがリゼロッタとルコリアの「焼き直し」「改良したもの」という話もチラホラ目にしましたが、個人的には今後全作で焼き直して頂いてもまったく構わない展開です(笑)
XもXIも2作ともやった感想としては、クリア(XIは全編クリア・Xは関連エピソードが収録されたVer2クリア)した上で振り返ると、焼き直しと言うべきか…。どちらかというと「リゼロッタとルコリアでは果たし得なかった切願がベロニカとセーニャでは果たされた」という捉え方もできるかなと思いました。リゼロッタだってルコリアだって、本当はこうなりたかったんじゃないか…。

リゼロッタさんを亡くしたルコリアさんが、ルコリアさんと離れ離れになったリゼロッタさんが初めて、そして最後にダーマ神殿で会えた時の『この想いを・・・』は、聴くと二人を思い出して胸が締め付けられます。

この想いを・・・
すぎやまこういち指揮東京都交響楽団

“悲劇の責任者”としての使命感に押し潰されそうになりながら「みんなの幸せがなんなのか」を必死に考えた末に、ギリギリまで女王を演じ切って魔人を召喚しようとしたリゼロッタが可哀想でなりません。
フィーロを振り返った時の表情と張り詰めたものが弾けたような空気がリゼロッタさんが負ってきた苦悶の深さを物語っています。

そういえば、日記が始末されたシーンは本気でサダクたちに憎悪を覚えました。この憎悪は本来、ルコリアのためを思って・ルコリアに心を寄せているからこその憎悪だったはずなのに、「ルコリアさんも、大事なものはもっとちゃんと管理しておかないと!」なんて、そうでなくても最愛の姉の遺品である日記を燃やされて傷ついているところに、セカンドレイプ(傷口に傷をつけなおす)的な発想をしてしまって後々自分でも恥ずかしくなったりしました…。
とにかくあのシーンはショックと憤りが満載で、演出のお仕事としては最高だと思いますし、物語の中の人物に心を寄せていると最悪の瞬間の1つでした。

姉の形見の日記の返却を求めるルコリア(DQ10)
出会った当初は人当たりの印象がキツめだったリゼロッタさんとルコリアさんですが、クエストクリア後のリゼロッタさんは部屋にある宝箱のカギを直々に開けておいてくれるところから始まって、いろんなことを話してくれるようになるし、ルコリアさんも私を呪わなくなる(笑)だけでなく、笑ってくれるようになったりして、なんというか、よく知り合ってみないと人は分からないもんだよねーと当たり前のことを思いました。プレッシャーで気難しい子になってしまっていただけで、ふたりとも本当は人懐っこくてとってもいい子よね。
日記の返却を拒まれて呪う意思表示をするルコリア(DQ10)

リゼロッタの死に厳しい言葉をかける父ブラト(DQ10)DQX:空想メモ「女王様のそれから」(セレド)