話したいこと
これまで私は何度も「怪獣を倒したい」と思ってきたが、なぜ「怪獣になりたい」と思わなかったのだろう…。私が怪獣を倒したい理由は世界を守りたいからではなくて、怪獣と触れ合いたいからだというのに…。怪獣と触れ合いたいなら、なってしまえばいいのに…。
いや、厳密には「怪獣になりたい」 と思ったことがないわけではないが、でもそれは、怪獣というより「スーツアクターになりたい」のほうが近かった。
怪獣の神、ゴジラになれました。
「怪獣が好き」という理由で前情報も調べずなんとなく買ったこのゲーム、ゴジラを倒すのかと思い込んでいたら、なんと、ゴジラになれるゲームだった。まじか。なんてこった。こんな形で夢が叶うなんて。
いや〜、これまでいろんなシミュレーションゲームでいろんな立場を仮想体験してきたけれど、ゴジラになるシミュレーションがあったのか。最ッ高。
街を壊す!
破滅の魔神(というコンセプトで作られた怪獣ではないが)になって、破壊の限りを尽くし、街を壊滅状態にする。最高…。エクスタシー…。
阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとする大きな自然災害を経たこの国に生まれ育ったわけで、ある種の娯楽性を街を破壊する行為に見出すことに躊躇がないわけではないけれど、そこは二次元と現実の線を引いた上で(…ということが難なくできる精神性は、2011年の私が独居で、なおかつ被害は金銭的損失や損失によって被った借金だけという…まあ辛かったし苦しかったし個人的には住まいを捨てることになったから結構深刻だったんだけど…でも恋人・妻子みたいな存在の命に別状はないものだったから、こういう創作で瓦礫の山を見ても特に現実と同化しないし全然なんともない。というのがあるかも知れない…)「強大な神の如き存在になって何かを壊す」という欲求を満たしたい。ただ、これは「超自然的な存在になって人類を支配したい」のではなく「緩衝材のプチプチを潰すと気持ちいい」の延長にある欲求だ。私はプチプチを、しかもできれば大きくて手応えのある大量のプチプチをめっちゃくちゃプッチプチに割りたい。できればなんか凄いアビリティと、乱暴なまでに鈍重な物理の、両方でもって。
ああ、憧れを操作してる。最高…。ゴジラだ…。私は今、ゴジラになれているんだ…。 あのゴジラに…。
主題曲はもちろんアレ
オープニングも勿論あの「♪ゴジラ…♪ゴジラ…♪ゴジラとメカゴジラ…」みたいな替え歌にされてるいつものやつ。うおおおお…血潮…たぎる…!
もしかしたらゲーム専用にアレンジが加えられているかもしれないので、どの版のゴジラ組曲なのか分からないけど、とにかくゴジラのメインテーマはテンションが上がります。
プレイした雑感
なにしろあの重量感のあるゴジラなので動きは遅い。怪獣っぽいもの繋がりで言うと、モンスターハンター系の速さを想像すると全然違う。片手でおやつを食べながらプレイする余裕がある。
これはゴジラに対する愛着がなく、アクションゲーム性を重視するプレイヤーだったらかなりヤキモキするのでは?ティガレックスの希少種が怒っていない時(=アクションゲームにしてはビックリするほどスローな動きをする)よりスピード感がない。
その代わり、重量感が凄い。
爆発。
圧迫。
破壊。
衝突。
ドカン!
重量を帯びたアクションがとてもいい。このアクションの“効き目”的な重さは、速さがないからこそ際立つんだと思う。この遅さでいいんだ。ゴジラだもの。ゆっくりと街を進み、足跡のような瓦礫が残る。足を上げずに、ズズ、ズズ、と能や歌舞伎のように動くのは、初代ゴジラのスーツアクターを務めた中島春雄氏の演技から滲むゴジラの重みだ。
GフォースなどもBGMを携えて登場。
司令室のお姉さんと初期の首相が好みなので、長いガイダンスもそこまで苦にならない。最低限のチュートリアルはあるものの(操作自体はそのチュートリアル1回で十分なんだけど)ゲーム全体の機能説明みたいな部分は若干説明不足に感じるかな。いや、初回に不便を感じる程度だからそんなでもないか?ファミコンやスーパーファミコンの時代に比べたら親切だけど、最近は説明が細かいゲームが多いから、それらと比べちゃうと、ちょっと「ん?これは何?」という箇所がある。1時間遊べば解消される程度だけどね。いつの間にかワガママなゲーマーになってしまった…(笑)
トロフィーは今のところ甘めな印象。最初の30分で5個獲得。次の30分で7個獲得。その後の30分で2個獲得。1時間ちょっとで15個近く(22%)獲れてしまうって…。
ずっとこの難易度なのか、終盤きついのかな、どっちだろう!?
楽しいからどっちでもいいんだけど、せっかく大好きなゴジラのゲームだし、ちゃんと100%目指したいな〜!
本物のゴジラとの折り合い
Gフォースやメカゴジラが出てくるから平成ゴジラがベースなんだけど、とは言えゴジラの元祖には円谷監督時代の〈なんらかの認知をせずに街を壊さない〉という自然的な人格(怪獣格?)が存在していて、たとえばゴジラが銀座四丁目を進むシーンで大きな時計がある和光のビルを壊すとき「時計台の鐘の音に反応したゴジラが、何だろうといった感じで時計台に触れて破壊してしまう」っていう設定があったりして、
参考
「俺とゴジラ」第四回 ゴジラ俳優 中島春雄氏(前編)ゴジラ・ストア(株式会社 東宝ステラ)
そういうのを鑑みて動こうとするとなかなか難しいというか、無秩序に街を壊してしまっているわけで、原作のゴジラとの折り合いがつかずにちょっと心苦しくなる…。
ビルを壊すにあたっては「窓の中で人が動いたから気になった」とかでいいのかな…。ゴジラとしての演技まで考えてしまうとキリがない、奥深いゲームなのでした。