近況:本業やや忙しく、ゲームが1日0時間気味。

DQ:シルビア迎えに来て

ダーハルーネで仲間を助けに来たシルビア(DQ11)

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて

私が最も愛してやまないゲームのうちの1つ、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』には、ある、騎士道を重んじる旅芸人が出てきます。明るくて、まっすぐで、少し弱いところもあるけど、常に正しさと優しさを、弱音を吐いても最後には強さを見せてくれる、とても素敵な人です。

突如現れたパレードの隊長はシルビアだった(DQ11)

世界を笑顔で守ると誓うシルビアたちの“世助けパレード”
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・プチャラオ村への道で

…と、私が思うようになったのはプレイ後で、最初、キャラクターデザインを見ただけの時は何とも思わず、「なんかイロモノ担当のキャラかな?服もかっこいい系じゃないし、私はこのお兄さんあんまり好きじゃないかも…」程度に思っていました。

*大事な話なので ネタバレを気にせず書きます。

いいえ

“彼女”の名は、「シルビア」

シルビア、“彼女”はいつも堂々としていて、胸を張って、あるべき自分の姿と、世界の平和を追い求めています。

怖気付くファーリス王子を一喝(DQ11・シルビア)

弱虫な王子の戦いを見て、やさしく一喝入れるシルビア
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・サマディー王国のシーンにて

シルビアの言葉にハッとするファーリス王子(DQ11)

シルビアの呼びかけに応える弱虫だった頃の王子
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・サマディー王国のシーンにて

ファーリス王子に勇気を与え背中を押す(DQ11・シルビア)

虚勢ばかり張る卑怯だった王子の背中を押す
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・サマディー王国のシーンにて

シルビアは男?女?

シルビアとしての人生”が、〈女としてのもの〉なのか、〈男としてのもの〉なのか、〈その二元性に収まることを本人が望んでいない〉のか、正直、作中に登場する情報だけでは分かりかねます。
「アタシ」「魔王ちゃん」「〜よん」という言葉遣いや身のこなしからからは、とにかくシルビアさんが私たちの俗世で「オネエ」や「オカマ」と呼ばれている属性だろうということは分かりますが。

シルビア
「海の男コンテスト……ですって?
なぁに その 乙女心をくすぐるヒビキ……。
ねえ くわしく教えてくれない?
ダーハルーネでのムービー「港町の逃走劇:海の男コンテストのお知らせ」より

シルビアはこの後、ダーハルーネの観光を提案する(DQ11)

海の男コンテストに関心を示すシルビア
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・ダーハルーネの町にて

シルビア
「まだ 時間があるみたいだし
女だけで ショッピングや スイーツ巡りをして
コンテストを 待つことにしましょ♪
ダーハルーネでのムービー「港町の逃走劇:海の男コンテストのお知らせ」より

(海の男コンテストという格付けイベントに対する是非や、これを「大きな使命を背負った人たちにも日常はある」と捉えるか「女=目的を持った旅への責任感よりスイーツと洋服と買い物♪というレッテルをわざわざシルビアさんまで使って貼り直された」と捉えるかは近隣の別問題ですから今は触れませんが、)シルビアさんは女子同士の町歩きを提案し、イイ男が居るかもしれない海の男コンテストに興味津々です。

…以下のようなことを箇条書きにしてしまうと、何か「こういう決まった要件があります」とか「テストに出るからこれだけ暗記しといて」みたいなものに見えてしまう副作用があるのであまり好きではないのですが、視認性を上げて整理しやすくするために、しぶしぶ番号をふった箇条書きを採用しますね。

このシーンを現実的に考察すると、たとえば、(「たとえば」程度の一例ですよ。)

  1. 女友達を飲みに誘う時に(自分を女子に含めて)「女子会しよう」と言うし、
  2. 「体が男だから」という根拠ではなく、アイデンティティを含めた自認として「自分の性別は男だ。女性ではない」と認識していて、
  3. 「私は男である」という認識や事実や男性としての要件を備えた体に対して、違和や苦痛などは特に感じない
  4. 俗世で「オネエ」や「オカマ」と呼ばれるような外見や挙動をしていて
  5. 出生時の診断が“男性”
  6. 今の戸籍も“男性”
  7. 恋愛対象は“男性”の
  8. “男性”
…という“男性”が、私の周りだけでも幾人も存在します。
だから、シルビアさんの言うところの「女」が「男性という性別に違和を持っているから放たれた自称であるか」否かは、定かではありません。
ちょっとした会話で「女」を自称したら即「この人は自分が男性の体であることが苦痛で女性的な体になる手術をしたいに決まってる!」「理解者だから彼がなんのLGBTか知ってるぞ!ズバリ!性同一性障害!!!」みたいな断定をするのは早計(以前の問題)だし、「断定するのは早計だ」という理由で「本当は男性なのでは?やはり“男らしい”扱いや褒め言葉を求めているのでは?」と疑い続けるのも無闇なことなので、なんにしろ現実社会では「本人から説明があったこと以外は憶測」だと思っているのが適切かな、と思います。
(「なぜ自覚が男性なのに自分を女に含めるのか」の理由については、そういう語り口を好む人も居れば、「そういう話し方が“ストレート”の皆さんにウケがいいから」と役割に徹した自称を選ぶ人も居ますし、「周りが自分を女だと思っているし、説明して分かってもらうのが面倒だから」という人も居ますし、個々人によりますから、私は理由の全てを把握できません。)

公式のページでは基本的に「彼」という表現をされている印象がありますが、私のブログでシルビアさんについて三人称を用いる場合は、(「シルビアが自分の性別を女だと認識しているにちがいないから」という“断定”によってではなく、)シルビアさんご本人が「女だけで ショッピングや スイーツ巡りをして」と言っているから、ご本人の自称に揃えて「彼女」を採択しています。

女3人組を呆れて見送るカミュ(DQ11)

シルビアを自然に女性と呼ぶ仲間の青年
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・ダーハルーネの町にて

青年は“彼女”を「女」と呼んだ

冒険を共にする盗賊のカミュさん(画像右の青髪の青年)も、シルビアさんと、ベロニカさんセーニャさんの双子姉妹をひっくるめて「女3人」と言っていました。
これは作中で私たちからは見えない時間にシルビアさんがハッキリとカミュさんや旅の仲間に「女性として扱って欲しい」「女性として生きている」と説明した可能性を裏付けているのかもしれないし、このセリフを書いたライターさんが「女性的な言動をするオネエ=女性になりたい性同一性障害」くらいの認識をしていて上の人がそのまま通した可能性もあるし、カミュさん自身の方針で「本人が女だって言うんだから女だろ」ということかもしれないですね。真相は分かりませんし、これどういう確認をしたのかな?という気になりごとはあるのですが、ひとまずこうした《茶化さない表現》が出てきたことに関しては、光を見た気がします。

シルビアに連れ立ってダーハルーネを散策する双子姉妹(DQ11)

とても楽しそうに散策に出掛ける「女3人組」(左からベロニカ・シルビア・セーニャ)
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・ダーハルーネの町にて

そしてシルビアさんもまた、そうしたカミュさんの態度に、“認めて頂いたことをありがたがる”ことなく、ただ背筋を伸ばして生きているところに、希望を見出しました。
「なぜカミュさんがそう判断したか」は問われることかも知れませんが、サラッと何の説明もなくカミュさんが彼女たちを「女3人」と言い切ったのは、ただただ時代の風を感じたシーンです。
(時代の風というのは、もちろん、なんとなく吹いた風のことではありません。世論を反映したのかもしれませんし、開発組織の中で戦った・掛け合った人がいるのかもしれません。いずれにせよ、個人の積み重ねがあって人為的に吹く風だと思います。)

前作『ドラクエX』には、錬金釜というお釜の形をした便利なアイテムが存在しますが、その“錬金釜”をデコる…つまり、デコレーションですね。自分好みの色やフォルムにカスタマイズするサービスが、作中の街角で行なわれています。

釜デコ屋ヤシム
「こんにちはっ。ボク ヤシム。
錬金釜界の ファッションリーダーにして
トップ釜スタイリストの ヤシムだよ!
真グランゼドーラ王国・入口付近配置キャラ(釜デコ屋ヤシム)挨拶フレーズ

「釜デコ」と公式に呼ばれるサービス提供の担当キャラである彼は、スカート姿の男性(明言されていませんが、キャラメイクと佇まいから断定すると、恐らく男性)でした。

私は昨年(2017年)の夏に11をプレイして、ドラクエ熱が再燃して、「オンラインゲームはなぁ…」と敬遠し続けて買わずにスルーした10を始めた。…という順序で遊んでいるので釜デコ機能の登場をリアルタイムで体感していないですし、ずっと上述のセリフだったのかは分からないのですが(服装はずっと変わっていないことを確認しています)、釜デコ屋自体は2015年8月24日の大型アップデート(バージョン3.1前期)で導入されたようです。
参考 大型アップデート情報 バージョン3.1[前期]トピックス|目覚めし冒険者の広場-ドラゴンクエストⅩプレイヤー専用サイト

上述のセリフを確認した(2018年7月)現在もヤシムさんはスカート姿ですが、彼のアイデンティティに関わる重要なことですから、これは決して「スカートをやめさせろ!」を推奨する話ではありません。
私はむしろ、作品の風景として当たり前のように性的少数者(に限らず様々なマイノリティ)を登場させて欲しいという立ち位置の人間ですし、彼が「ボクはスカートがいい」と願うなら、誰もそれを止めるべきではないのです。

そういうことではなくて、トップ・カマ・スタイリストの、カマ・デコ屋のヤシムさんを、「カマ」と掛ければ面白いと思ったからスカート姿にしたのであれば。あの服装を「“カマ”だけに(笑)スカート姿にしました。“カマ”だけに(笑)」みたいなつもりで設定した節があるならば、(あるならば、ですが)カミュさんが、「まったくあの女3人組は」とサラッと言ってのけるまでの2年間は、ドラゴンクエストを巡るゲーム史と社会の関係において、非常に有意義で大きな時間の流れを内包した2年だったのだと思います。
自分が30年近く愛してきた『ドラゴンクエスト』シリーズが、より多くの属性の人を肯定して成長する姿を見るのは、ただただ誇らしく、「私はこのゲームが好きで好きでたまらないんです!」と、これまでよりまた一段大きな声で言いやすくなった開放感を噛み締めています。
「ゲームは子育てに有害」なんていう声もありますが、シルビアさんの登場と、この世界観が彼女の登場・存在を肯定していることだけを取っても、「有害??そうですか?多様性を楽しく目の当たりにできるかもしれないですよ?」と言える材料になりますし、追い風が増えて行くことはゲーム趣味を肯定されたい大人としては喜ばしいですからね。

ただ、当然ですが釜デコ屋さんの服装と「カマ」でかけたことを含めて好意的に笑いとして受け止めたゲイを公表しているプレイヤーも居たことは特筆しておきます。みんながみんなあの表現に批評的というわけではありません。もちろん逆に、問答無用で否定的な人も居ます。(「当事者でOK出している人がいるから社会的にOKなんでしょ」と拡大解釈したり「人それぞれだからどうせ誰かは文句を言う」で思考停止するのではなく、「好意的な人はこういう理由で肯定していた」「否定的な人はこの部分を否定していた」と、事実の認識を積み重ね、「ある当事者の意見が総意ではない」「総意ではないが当事者の意見である」として等身大のまま取っておくことが大事だと考えています。)

シルビアとマルティナへの“区別”

もちろん全部が全部、手放しで安心できる描写だけではありません。
たとえば、シルビアさんの技の中にはキスで敵を毒状態にするものがあります。

  1. したい相手と
  2. 双方合意の上でしてもらえる場合・する場合を除いて、
  3. 望まぬ相手に突然キスされたら
  4. 心にダメージを受けて
  5. 体調を崩したりもする
…というのは全然そこらへんにある話なので、“誰かのキスでダメージが起こること”自体に不思議は感じません。しかし作中ではシルビアさんのキスだけ限定的に“毒”になるという扱いを受けています。
スキル群の名称は「おとめ」。(この「おとめ」スキルのパネルには、シビれる愛で相手をマヒさせるという設定の技もあり、こちらはまあ魅力的に見せようとしている?のかな?という気がしないでもないのですが、)シルビアさんのキスだけ毒ってのはナシだろ、シルビアさんのだけ毒ってのは…。と、苦々しい気持ちになりました。

美しき女武闘家のキスと、オカマの毒キス

一方でマルティナさんという、作中で「美女」と表現される女性も、投げキッスやセクシービームなどの“お色気”技(スキル群の名称は公式に「おいろけ」)を持っていますが、こちらは敵が魅了されたことによりダメージを受けたり行動不能に陥ったりするようになっています。

ユグノア城跡にてエレノア妃を想うマルティナ(DQXI)

今は亡き母代りだった女性を想って涙するマルティナ
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・ユグノア城跡にて

「美女のそれは魅了されて、オカマのそれは毒になる」というのが、マルティナさんとシルビアさんという二人の“女性的”な佇まいのキャラクター、ひいては“オカマのおっさん”と“本物の美女”に対する公式な扱いです。
最終的なチェックを出すポジションに、女性(特に美しい女性)を恋愛対象とする方が多い組織だったのかな…と思いながら遊びました。

正直なところを申し上げると、私は、マルティナさんが好きで好きでしょうがない自他ともに認めるマルティナさんオタです。「あんたの浮気相手がわかった。私の上位互換に乗り換えたな」的なメッセージとともに彼女から画像が送られてきたので一体何事だ!?冤罪だ!!…と思ったらマルティナさんの画像が送られてきただけ、ということもありました(笑)
PS4版で遊んでいたのに、DS版ならマルティナさんと結婚式のリハーサルができると知ってDS版をその場で買い増ししましたし、DS版でのマルティナさんのグラフィックを全て観るため、ふっかつのじゅもんは使わずに0からやりました。もちろんDS版は、3Dモードとドット絵モードで1周ずつクリアしています。途中で切り替えられますが、切り替えじゃ歩いている1歩1歩を、すべての戦闘、ロトゼタシア(=ドラゴンクエストXIの物語が展開される世界の名前)のために努めた1戦1戦のすべてを、それぞれのモードで立ち会うことができません。
ひどく体調を崩した時期は「誰から見ても休んでいい状態ならゲームができるぞ」と命に関わらない症状はすべて歓迎した節すらあります。移動時間は薬を飲んで吐き気を堪えてまで遊びました。バカだと言われてもいい、私はこの『ドラゴンクエストXI』に熱狂しました。当然、ライバルズもダウンロードしましたし、カード1枚を電脳世界で仮想入手するためだけにいくらかは課金しました。幸い少額な段階で手にいれることができましたが、いいカードが出なかったら手に入るまでは月々のお小遣いをこのために注ぎ込んだと思います。心配事と言えば、まずマルティナさんはヒールの高い靴で冒険させられているから、靴擦れや足が痛くないかです。

仮面武闘会でムーンサルトキックをきめるマルティナ(DQ11)

武闘大会での派手なムーンサルト
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・グロッタの闘技大会にて

なぜこの記事を書き始めたか何もかも忘れて、このままマルティナさんの話だけをして終わりにしてしまいそうなほど、そう、私は「二次元だろうと構うものか!!!マルティナさんは一生のうち何人出会えるか分からない最高レベルの人だ!!!」くらいのことを思っています。だから、彼女のセクシービーム(なんかセクシーな雰囲気で指でバキュン!って撃ってもらって、最後マルティナさんが拳銃に見立てた指先をフッって息吹くモーションの技)を食らったら私が魔王でも邪神でも、一撃目で倒れます。他のキャラクターはみんな、ぼうぎょしていてくれれば、私のHPがシステムエラーの都合で5000億あっても1ターン目で倒せます。最期がマルティナさんの技なら幸せな一生だったと言って消えましょう。さあ、一思いにやってください!!!…という気持ちですから、「マルティナをお色気キャラにしよう!セクシービームや投げキッスで敵を倒しやすいバランスにしよう!」という企画方針があったとして、まったく賛同できませんが、一定の心情的な理解を示すことはできます。
「大好きだった人たちを失い、手放し、自分ばかり生き延びた罪悪感に苛まれながら修行に打ち込んだユグノア陥落からの16年間を生きてきて、今目の前にいる大切な人たちを守るために戦う高潔な武闘家であるマルティナさんにとって、果たして色気で敵を倒すことがどの程度本意なのか?」という強い疑問と抵抗は感じますが、その一方、「マルティナさんのようなキャラクターが投げキッスやセクシービームを撃った姿は妖艶で美しい」という感覚は、カナリ真に迫った立場から分かります。私は、彼女のビジュアルを扇情的に感じる客層なので。
グロッタの武闘会に参加したマルティナとの対面(DQ11)

仮面武闘会での初対面シーン
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・グロッタの町にて

キスが毒になるとき

そういう立場の私ですが、やっぱり、キス技・色気技については「シルビアさんとマルティナさんに対する扱いの違いはなんなんだよ」と思います。
だって、「マルティナ(=彼女の恋愛対象の性別は不明だけれど、女性として生まれて自らを女性だと認識している女性)からのキスは気持ち悪くて、シルビアからのキスなら嬉しい」という人だって、普通に居るわけです。「どっちからされても気持ち悪い」という人だって、「シルビアとマルティナならどっちも歓迎!お金払ってでもしたい!」という人だって、それぞれ居るわけです。
どんなキスも、された側の心が合意さえしていれば気持ち悪くないし、毒になり得ないわけです。
逆に、不本意なまま、心が合意できないままされたキスは、どんな美女のキスでも、どんな美男のキスでも、気持ち悪いと感じるのも当然です。「イケメンならいいんだろ」「美女ならいいんだろ」という言説も存在しますが、あれは「イケメンや美女側が許されている」わけではなく、「された側に外見的美醜を基準として可否を検討する人がいた」というだけの話です。(それですら、歯槽膿漏が酷くて気持ち悪かったとか、口臭がひどかったとか、歯周病がうつったとか、されることを許したものの毒状態になって悔やんだというケースはいくらでもあります。)
私は同性愛者の女性ですが、同意していない女性(いずれの人も世間で言うところでは相当な美女の部類だと思います。お化粧の有無を問わないほどの。)から先方側のムードだけ優先された末にキスされてしまった時は、歯周病も口臭もまったくなく、清潔感にあふれているどころか、いい香りまでしましたし、技術的にも非常に丁寧な扱いだったと思いますが、同意のない相手との接触が気持ち悪くて、歯磨きしました。歯茎や頬の肉や舌がボロボロに傷ついて、どれだけ荒れようと、口を血だらけにしながら思い出す瞬間のたびに歯磨きをしました。何をすればキスの気配が口元から消えるのか分からず、歯磨き粉以外の洗浄剤類も口に入れて洗いました。喉の奥まで歯ブラシを突っ込んで胃酸を吐きながら届く喉まで磨きました。入浴剤を入れたお風呂のお湯で何度も口をすすぎました。味の濃いものを食べ続けて荒れた口は毎日バクンバクンと脈打っていました。唇の保湿をやめて何層も皮を剥き千切りました。不本意なキスから遠ざかるために。
私自身に起きたこの一連の消耗を超〜〜〜〜限界までコミカルに表現するとしたら、「キスされて毒になったわー。まじHP削られたわ〜」って感じです。MPも削られましたが、キスを終えた後、自分側がどんどん消耗し血を流していく状態は、むしろHPのほうを削られた感がありました。
HP削られたわ〜って言っても、キスされてしまう前の攻防戦の段階でMPだってスッカラカンですけどね…。

自分の大好きな大好きなキャラクターをこんなたとえ話に動員してくるのは身を切るように苦しいですが、たとえばマルティナさんが合意のないキスを試みる人だったとして、そうしたらマルティナさんのキスだって、合意していない相手に強行すれば毒になり得ます。私のようなリアクションを示す人が出る可能性もあるわけです。
シルビアさんのキスも、相手の心が嫌がった場合は、もちろんそうです。シルビアさんが強引なキスをして相手が消耗することについては、まごう事なき毒です。(そして、実際に毒だとしても、「オカマは毒」「美女は色気」という非対称性を二人に持たせてエンタメ化することの良からぬ性質が軽減されるわけではありません。)

元来、両者が同条件であるにもかかわらず、シルビアさんのキスだけが相手を毒状態に陥れるのだとしたら、私はそこに「オカマのキスは気持ち悪いって思う人のほうが多いから」「マルティナにキスされたら魅了されるけどシルビアにキスされたら削られるのが普通だから」「マルティナにキスされたら普通の男なら嫌じゃないから」「シルビアにキスされたら普通の男は嫌だから」「マルティナは女だから」「シルビアはおじさんだから」という判断基準の存在を、「みんなそう思うから大丈夫だろう」という“みんな”側に居るとき特有の安心感の存在を、どうしても疑ってしまいます。
「望んでいないのにされたら嫌だ」という大前提はどのキャラクターにも共通しているのに、シルビアさんだけを気持ち悪がられる方向に誘導するなら、それは多数決のイジメみたいなものなんじゃないのか、…と思います。

「女」扱いと「おっさん」呼ばわり

それから、「女3人」の件のカミュさんに関しても、実は「シルビアのおっさん」という呼び方のセリフが存在していました。
「女3人」のシーンとはライターが違って、なおかつこの呼称が統一されていないことに引っかかりを感じるチェック機関がなかったのか、それとも気を遣って女扱いしているけど素ではおっさんだと思っているのか、作中の私たちには見えない場所でシルビアさんから細かい性自認に関する説明や要望(自分を男性だと認識しているけど、扱いは女性陣と同じだと落ち着く、等…?)があったのか、カミュさん側の感情や環境に沿った規則性があるのか、悪ノリでおっさん呼びしているだけで基本的には女性扱いしたいと思っているのか、会社から徒歩十分そこそこにある新宿二丁目で見掛けた人たちの断片を繋げたのか、社内の当事者に聞いたらたまたまこうだったのか、外部アドバイザーがこういう判断をしたのか、カミュさん自身がシルビアさんの存在に戸惑っており女性として扱おうと意識していても気がぬけると素で「おっさん」と呼んでしまうことをリアリティとして表現したのか、なんなのか、外からではまったく分かりませんから、良くも悪くも恣意である可能性が残るものを楽観的に評価することや断定的に裁く事はできません。
ただ、「なんで同一人物からの他称(に顕れるシルビアに対する性別の認識)を統一しなかったの?」とは思いました。

仲間たちと大樹へ向かう最後のキャンプ地にて、カミュ(DQ11)

勇者と旅路を共にする妹想いの青年、カミュ
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・大樹に向かうキャンプ地にて

“普通の性別”の同性愛者は出てこない

また、シスジェンダー(すごーーーーくザツに言うと、生まれた時に診断された性別にイロイロ一致した感じでそのまま違和を感じない…、“普通”を信奉する人が「“普通”の人」と呼んでる人は多分だいたいこれだと思う。本作で言えばシルビア以外の主要人物は全員推定シスジェンダーかな…?)の同性愛者やバイセクシャルは出てこなくて、コミカルな“オカマ”は登場できた理由が、仮に「同性愛者は面白みがないから」とか「普通の見た目の同性愛者だとガチ感が出すぎちゃうから」とか「オカマは面白いから」みたいなことだったら「実はただのクリエイティブ側のエンタメ嗜好の副産物だった〜!」…みたいなオチになってしまうので、そういうのは、ないといいな…と願っています。
(シスジェンダーが異性愛者とは限りません。「あなたの恋愛対象となり得る性別は何ですか?」と「あなたは自分の性別をどう自認しますか?」は別の問いかけです。)

軽率な全肯定は難しい。けれど、

…そんなわけで、これらを鑑みた上での「全部が全部、手放しで安心できる描写だけではないんだよな〜」という感想は確かにありますが、組織の商業活動で(それもスクエニ級の大企業が、30年続いた、しかも不文律の多いビッグタイトルで)こうした要素を一気に解消するのはどう考えても現実的には無理なので、気になるポイントはそのまま抱えつつも、私は、この『ドラゴンクエストXI』にシルビアさんが出てきたことも、カミュさんが彼女を当然のように「女」と呼ぶシーンが存在したことも、ひとまず、ドラクエが時代に追いつき始めた、良い出来事だなと思っています。

制作側の意図がどうだとしても、

  1. 男に見えるけど
  2. アタシって自分を呼んでる人が出てきて、
  3. 女として数えられてた
という事実を当然のように目撃した今世代の子供は、少なくとも一世代二世代前の“昔の子供”だった私より「そういう人も居るのか」というのがスッと入ってくるでしょうから。(大人が理解のジャマをしなければね。)

「見た事ある」が齎すもの

私は昭和末期の生まれですが、子供のころ、“オカマ”ってお笑いのジャンルだと思っていました…。ほんとに。東京に居る時は稀に見掛けたんですが、地方に居る時は生で“普通の人”以外を見た事がなかったです。仕事や私生活の都合で今も西日本の都市部・東日本の都市部・西日本〜東日本の田舎町のいくつかを行き来して転々と暮らしていますが、平成も終わろうとしている今でさえ地方では(地方パレードや、マイノリティフレンドリーなお店や講演会にでも出掛けなければ)可視化された状態の人はほぼ見掛けません。それに、見掛けたとしても見掛けるだけでは「どう接するべき相手か」っていう情報がそこにはないんですね。近くで話を聞くわけでもないから。子供の頃の私も、“普通ではない人”に接している大人を見る機会がテレビの中にしかありませんでした。だから女装もお化粧も全部、それをする人は漏れなく全員、人を笑わせたくてやってるコントだと思ってました。「バカ殿様の仲間かな?」みたいな。みんなゲラゲラ笑っていたから、“笑う用”の人たちで、本人たちもそれを望んでいて、笑われたら嬉しいし、観る側としても「きっとバラエティ番組が好きな人たちはこういうのがいいんだろうな」と疑いませんでした。
私はどちらかと言えばテレビのお笑い番組の大半を「バカじゃないの」って冷笑するタイプの子供でしたから、“オカマ”も含めて「テレビのバカなもの」だと解釈していました。とんだ勘違いをしたものですが、“オカマ”=「お笑い好きの趣味」=『(私はバラエティ番組が嫌いだったので)「ああいう大人になったらダメ」と感じる平凡な一例』でした。

襲われているプチャラオ村の村民を救いに謎のパレード集団が現れる(DQ11)

魔物に襲われて困っている人の前に突如現れたシルビアのパレード
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・プチャラオ村への道で

子供の頃の私の見識が狭く愚かだっただけ…と言ってしまえばそれまでですが、とは言え当時の私は10歳にも満たない子供です。機会がなければ私のようになってしまう子供も(そのまま大人になってしまう場合も…)あるでしょう。
カミュさんの接し方がシルビアさんに対する正解かは分かりませんし、不足はあると思いますが、少なくとも、あの頃の私の前にシルビアさんとカミュさんが居たら「お笑いジャンルではない」「人の扱い方の1つのパターンだ」ということは理解できただろうなと思います。

“認める”側の世界は激変しない

同性愛を認めたら子供が同性愛に走るんじゃないか」と言う人がいますが、同性愛者を含め、様々なセクシャリティーを知っているからこそ「自分はあれじゃない」が判断できる場合もありますし、異性愛者と思しき子供がハッキリ異性愛者であることを自覚する判断材料にもなり得ます。
また、外から見たら「イキナリ“同性愛者化”した」人が居たとしても、それは、そう見えただけです。
もともとセクシャリティーが揺れている最中だった(でも揺れている人をつかまえて「こっちに来なよ!」と自陣営に引き込めるわけではありません。本人としても自分の意思で操作できる問題ではないので、自分自身に振り回されながら、落ち着く・落ち着いた気がするのを待つほかないのです)という場合もあります。ずっと悩んでいたけど遂にカミングアウトしたという場合もあるでしょう。「セクシャリティは一生」と言っているわけではなく、少なくとも「LGBTを認めた途端次々と異性愛者が同性愛者になり遂には少数派と多数派が逆転!!この国はレズとオカマのアマゾネスに!!!!フツウの人間は奴隷化!!!!」という超常現象は起きません。安心してください。
同性愛に関する文脈で言えば、「異性愛者のフリをするしかなかったLGBTが認められてやっと次々カミングアウトし始めたがシスジェンダーの異性愛者の生活は特に変わらない」という説明が現実的です。

「男性が好きだから女性と恋はしないけど生活のパートナーとして同性と暮らそう」という女の人が同居女性と愛情交換ではなく性欲解消を目的とした体の関係をもった場合、その人は女性を生活パートナーとしている異性愛者、社会生活の都合で異性と結婚した同性愛者が居たとしても、その人は同性愛者のままと言って差し支えないでしょう(それぞれ本人が難色を示さない限りは)

LGBTを認めたら性犯罪がはびこる」という言説もありますが、LGBTを社会が認めても認めなくても社会生活の送りやすさが変わるだけで、性生活や性的指向とそれぞれの人数が変わるわけではないので性犯罪者数に大きな変化は出ないと思います。ただし、LGBTが人並みの社会保障を受けられるような社会になった場合、これまで事件化するのを諦めて命を絶ったり泣き寝入りしてきた被害者の男性や女性などが生きることを選び名乗りを上げやすい社会ができあがっている可能性がありますから、この意味では、LGBTが認められることと連動して公的に計上された性犯罪の事件数が上昇傾向に入る可能性はあるでしょう。性犯罪は加害者1人:被害者1人で試算できず、強姦でも加害者1人:被害者数百人、痴漢や盗撮となると加害者1人:被害者数千〜万人という数字が成立するため、被害者が告発しやすくなれば事件数は増えると思いますが、犯罪者数の増加と同義ではありません。
「運転を認めたら轢き逃げがはびこる」「猫の飼育を認めたら引っ搔かせる飼い主がはびこる」「ヴィーガンを認めたら肉売り場の爆破がはびこる」とか、ないですよね。〈性犯罪〉というのは実行を決断する人だけが起こす性犯罪者特有の現象です。「LGBTを認めたら性犯罪がはびこる」というのは「調理を認めたら毒殺がはびこる」という主張をしているようなものです。

これほど多くの異性愛者に囲まれて暮らし、「異性愛者も何もおかしくないよ!異性に恋していいんだよ!」と、異性愛者を(よく言われる言い方を真似るのであれば)“認めて”いる同性愛者たちがサッパリ男女恋愛に走らず同性愛者のままなのですから、自分とは異質な者を認めても特に何も起きないのです。心の底から認め、見慣れたぐらいで変わるならとっくに世界は異性愛者一色です。
私は、異性愛者が異性と恋をするのは心の底から普通だと思いますし、素敵なことだと思います。応援していますし、異性愛者の方が異性を愛して生きる権利を脅かす同性愛者が居たら断固戦います。多くの同性愛者はそうだと思います。でも我々のうち誰も、どれほど異性愛を認めようと応援しようと異性愛の恋愛映画で号泣しようと異性愛者化は進んでいません。

人魚の恋愛話をマルティナが一番真剣に聞いている様子(DQ11)

かなり真面目に他人の恋愛話を聞くマルティナ
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

時が過ぎ去る前に知りたい

もし私が子供の頃触れたものに多様なセクシャリティーのキャラクターが当然のように描かれていたら、シルビアさんが居たら、人生が変わっていたかも知れません。
「成人する頃まで自分がレズビアンだっていうことがよくわからなかった」なんていう無駄な時間を過ごさず、若い時代を「彼氏つくらなきゃ女としての価値がないんだ」「男性にモテないと女としての価値がないんだ」なんて、メディアや周りの声に呪われたまま過ごさず済んだかもしれなかったな〜…、と口惜しく思います。
ちゃんと女性に恋をして、その人の前に現れる時の私の制服のリボンが曲がっていないかとか、前髪が乱れていないかとか、ちゃんと私はいい匂いがするかとか、毛先がハネていないかとか、爪の色が可愛いかとか、そういうことを悩みたかった。自覚したからって恋が叶うわけではないけど、私が口惜しいのはそういう問題ではなくて「私の恋愛対象は女性なのだ」とハッキリ認識した上で、私が何者であるか私自身が知った上で、若い時期を送ってみたかった。死んで生まれ変わることができたって、私が私で送る若い時代は、もう二度とは戻ってこない時間だからです。
私は成人するまでの人生を、私が誰なのかを知らないまま水に流してしまったから。本来の姿をした過去の私に会えるなら、一目会いたいのです。

メダル女学園にて自身の十代を語るマルティナ(3DSによる管理人のプレイ画像)

マルティナの10代は武術の稽古に明け暮れたものだった(私立メダル女学園にて)
2DS版「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」の管理人によるプレイ写真

「恋愛をして過ごすことが必ず正しく有意義だ」というロマンチック・ラブ・イデオロギー的な話ではないですよ。念のため。
「そう過ごせる可能性があったなら、今とは別の人生を送った可能性もあったんだな」という発展性のない回顧のようなものです。

まあ、不幸中の幸いというか、自分が同性愛者だって10代のうちに(ハッキリとは)気付かなかったし、他の悩み事を抱えていたからこそ、私は心が柔らかい子供のうちに、同性愛者として差別を受けたり、同性に恋を“してしまう”自分に悩む日々を回避できた可能性があるのかもしれないんですけどね…。皮肉なものです。

子供の頃に自覚していたら、ひどく悩んだ人生だったのかもしれません。親や学校や社会のような、周りの大人に理解を示されることなく“治される”とか“直される”とか注意されるようなことがあったとしたら、「お前は異常だ!」と言われてどこにも居場所がなくなったら、塞ぎ込んだり、最悪の場合は、命を絶った可能性もあるのかなと思います。特に私が子供の頃は、今よりもっと、セクシャルマイノリティの存在が理解されていない時代だったので。(「今悩んでいる人は楽だ」とか「今の子は恵まれている」という意味ではないですよ。同性愛者としては今しか生きていない私の想像を絶する方法や言説で昔は追い込まれたのかもしれないな、という無知と未知の想像です。)

ソルティコの浜辺で過去を語るシルビア(DQ11)

自分らしい騎士道のために家を飛び出したシルビアは父親との関係に悩む
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より・ソルティコの浜辺にて

さて、「異性との恋愛を勧められるのってそんなに嫌?」「どうして生まれた性別を受け容れないの?」と聞かれることがあります。(私はLGBTで言うとLでしかないのですがGBTのことも聞かれます…。)
たとえば、あなたが以下のような人間だとしましょう。特殊な思考実験ではありません。1〜8番目の項目をすべて満たした、よくいらっしゃる“ふつうのひと”を思い浮かべた上で最後の、9番目の意見群に目を通して頂ければ良いのです。

  1. 男に生まれた
  2. 「自分は男である」と思う
  3. 誰からも男に見える服装の趣味
  4. 自然な恋愛対象は女性(異性)で
  5. 異性(女性)との恋は楽しい
  6. 以上に違和も疑問も苦痛も何もない
  7. つねに自然に男性として生きていられる
  8. 女性だけが恋愛や性欲の対象のまま
  9. 周りから「自然な生活の阻止」としか思えないことを言われ続ける
  10. 「あなたは女の子だから友達の家に遊びに行くならスカートで行け」「スカートをはきたくないなんて!どうして女らしくできないの?おかしいんじゃないの?」「お前はまだ誰にも嫁にもらってもらえないのか?早くお前と夫の間にできた孫の顔が見たい」「アブノーマルな趣味だから女性に勃起するな、男性の裸に性的な関心を持つのが正常だ」「内股で歩きなさい」「お前は娘だしはしたない女は汚いから男みたいに自慰行為をするなら去勢しなさい」「なぜ料理ができないんだ」「それでも女性に性的な関心を持つなら異常だから精神科を受診させましょう」「高い声で優しそうに喋りなさい」「俺の選んだ男とお見合いしなさい」「お前が自分を男だと思っていて女性に性的な関心を持つ異常趣味だとバレないように親戚には黙っていてやる」「正常な恋愛を勧められることの何がそんなに嫌なんだ?」

…こんな毎日だったらどうでしょう。これでもまだ「そんなに嫌?(キョトン)」って感じですか?人生にたった1日これを言われる日があったら嫌な思い出が1つという程度かもしれませんが、これがずっと続いていく毎日だとしたらどうでしょう。
こんなめちゃくちゃなことありえない、と笑ってしまう人もいるかも知れませんが、同性を愛している人が「異性を好きになりなさい」と言われることや、自身が認識しているセクシャリティで生きられないというのは、要するにこういう要求を日常的に受け続けていることと大差ありません。
周りに理解者が居ない子供というのは、少年時代からこう言い聞かされて育っているようなものです。

私たち大人が怯んだらだめだ、大人が迷うと「セクシャリティが“普通”じゃないことはいけないこと」…みたいに子供が思ってしまうかもしれないから、「どんなふうに生まれても、途中でどんなセクシャリティのあなたに変わっても、気づいても、分からなくても、べつになんだっていいんだよ大丈夫だよ」と、いつだって言い切れるように胸を張って毅然としていよう。…と、思っているものの、やっぱり、怯んでしまうことは、大人の私でさえ、私からは百戦錬磨の論客に見える敬愛する人たちでさえ、当たり前にありますから、気が変になってしまう子供がいても、こういう日常の中で「もう死んでしまおう」と思う子供がいても、不思議はありません。カナリの無理を言われているのです。本人に一体どうしろと言うのでしょう。

シルビアのカミングアウト

さてさて、シルビアさんに話を戻しますが、彼女には、“彼”だった頃の故郷がありました。
生まれ育った町に“彼女”が置いてきた名前は、旧約聖書に登場する巨人と同じ「ゴリアテ」。アフリカに現存し、人間を襲う事故が多発しているムベンガという大型の肉食魚の学名はHydrocynus goliathですが、このゴライアスは「ゴリアテ」の英語読みです。昔風に言えば「男らしい」なんて言われるタイプの、勇ましい、強そうなイメージの名前ですね。
生まれながらに勇ましい名を背負った「ゴリアテ」は、『ドラゴンクエストXI』の世界にある海辺の町・ソルティコの、騎士道を重んじる名家の跡取り息子でした。

旅の途中、かつて自分が「ゴリアテ」として育った街に立ち寄ったシルビアさんは、曰く「屋敷が壊れるくらい大ゲンカして」決別した父と再会する覚悟を決めるのですが、やっぱり怖くて、浜辺で一人悩んでいました。
ある王国の将軍が公式設定で36歳でしたから、彼と長い付き合いというシルビアさんも恐らく30歳は過ぎていることでしょう。35歳前後だとすれば私より少し年上といったところです。
子供の頃は、30歳にもなればすっかり賢く肝の据わった人生を送っていることかと思っていましたが、案外そうでもないんですね。この年齢でも誰かに自身の大切なことを打ち明けるというのは勇気の要ることで、シルビアさんが怖気付いてしまったのはとてもリアルな描写だな…と、自分のことのように感じました。

ソルティコの浜辺で過去を語るシルビア(DQ11)

彼女は騎士らしい騎士として生きることが決められている人生だと思っていた
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

浜辺で悩んでいたシルビアさんは、「ゴリアテ」としての生い立ちを教えてくれました。騎士道を幼い頃から厳しく叩き込まれたこと、自らも父のように騎士として生きて行く覚悟をしていたこと、ある時出会ったサーカス団で人生が変わったこと。
「面白くって! 不思議と身体の中から チカラが湧いてくるの!」…すっかりサーカス団に魅せられたゴリアテは旅芸人になる決意をしたそうです。

ソルティコの浜辺で過去を語るシルビア(DQ11)

自分の在り方を自分で決めたら、父に反対されてしまった
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

ゴリアテのカミングアウトはセクシャリティに特化したものではありません。父親に対し、セクシャリティについてのカミングアウトも同時に行われたか否か、そもそもゴリアテがサーカス団に心を奪われた時点で自分自身をどう捉えていたのか、「“シルビアのような人”がサーカス団には居たから」本来の自分に気付いたのか、それとも曲芸の素晴らしさやサーカス団の明るさに魅了されただけなのか。
或いは、現実的な事情で開発時に〈いかにもLGBT系のトピックス〉とするのが憚られてサーカス団の話に終始したのか、よくあるストーリー制作のセオリーに則って(シルビアさんと初めて会うのはシルビアさんが属しているサーカス団の公演だったので)単にシルビアさんがサーカス団に入った経緯をフィーチャーしているだけなのか。
そのあたりの事情はまったく分かりません。

ソルティコの浜辺で過去を語るシルビア(DQ11)

諦めなかったシルビアは父と大喧嘩して家を飛び出す
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

ただ、恐らくロトゼタシア(=DQXIの世界)の価値観に於いて家督を捨てて旅芸人などという仕事に就くことは超一大事なのでしょう。
そこへもってきて、現に「ゴリアテ」だった勇ましい彼はすっかり「シルビア」という、仲間から「女」と呼ばれるほど“女性的”になっているわけですから、シルビアさん自身にしてみれば、久々に里帰りして今の姿を父親に見せることは実質のカミングアウトです。
過去のカミングアウトやケンカの内容がどんなものだとしても、改めて「私は今こうなりました」という姿を見せるのは勇気の要る決断です。

父・ジエーゴの理解

父の第一声は、

ジエーゴ
「誰だぁ… てめぇ……?
ソルティコの町・ジエーゴの屋敷でのムービーより

でした。
すっかり別人のようになった息子、一目見ただけでは誰なのか分かりません。

父・ジエーゴと再会を果たすシルビア(DQ11)

目の前の旅芸人が誰なのか気づく父
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

父・ジエーゴと再会を果たすシルビア(DQ11)

おびえたシルビアは勇者の背中に隠れてしまう
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

結局これは安心できる話で、「どのツラさげて 帰ってきやがった!!」と、父・ジエーゴが怒鳴った理由は、大事に育てた騎士の息子が“オカマ芸人”になっちゃったから…なんかではなく、「みんなを笑顔にできるような アタシにしかできない 騎士道を極めてやる!」と啖呵を切って出て行ったくせに、お前の騎士道は極まったのか!…という、シルビアの、ゴリアテの、騎士道に則ったものでした。
ゴリアテは「それまで 絶対に 帰らない!」と宣言していたのです。

父・ジエーゴと再会を果たすシルビア(DQ11)

父の反応は想像とまったく違うものだった
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

ジエーゴ
「てめえの 騎士道ってやつで
世界中を 笑顔にできたのか?
ソルティコの町・ジエーゴの屋敷でのムービーより

シルビア
「……いいえ まだです。
ソルティコの町・ジエーゴの屋敷でのムービーより

ジエーゴ
「だったら……
なぜ 帰ってきやがった!!
ソルティコの町・ジエーゴの屋敷でのムービーより

シルビアさんが故郷に立ち寄ることを選んだ理由は、決して騎士道の挫折ではありません。共に世助けパレードをしている非力な仲間(勇者たちと冒険を共にするメンバーではなく、名もない非力な民)たちを抱えて居たのです。これまでは道中の魔物ですからシルビアさん一人でも守りきれましたが、魔王を倒しに行くとなると話は別、パレード仲間を連れて行ったら生きて帰すことができません。
シルビアさんはパレード仲間たちの身の安全を確保するため、自分たちが世界を平和にして帰って来るまで「非力な仲間たちを預かって欲しい」と頼み込むためだけに、意地を張らず、実家の敷居を志半ばのまま跨ぐ勇気を出したのでした。

シルビアの望みを聞き入れるジエーゴ(DQ11)

快諾する父
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

ジエーゴの屋敷に来たパレードの仲間たち(DQ11)

シルビアの明るい仲間たちは歓喜する
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

自分の弱さと向き合いながら、懸命に自分のあるべき姿を追い求めるシルビアさんのことが、大好きです。
彼女が登場するシーンでかかる『オーレ!シルビア!』もイメージ通りで明るい気持ちになれる曲です。フラメンコで聞く「Ole!」は声援や激励の意味もある掛け声だそうで、その点も含めてピッタリですね。

シルビアの居ない世界で

先週だったか今週だったか、ほんの数日前のことですが、ある動画がツイッターで話題になっていました。批判的な様子で話題になった短い動画は多分(主に)批判を受けている箇所だけが抜き出されたもので、フルバージョンではありませんでしたが、どうも「LGBTは生産性がないから支援の必要はない」という部分が非難されている様子。少し調べて見ると、似たような内容の週刊誌への寄稿も批判を集めているようでした。なんにしろ、「やだな、疲れる。怒る必要があること言わないでほしいな」って思いました。
こんな淡々とした気持ちを挟まないで、直接引火するみたいにドカーン!!!!と怒っていいはずなんだけど、「あなたはあなたのまま居てはいけません」という論旨のことを言われ慣れすぎているものだから、“嫌なことをされたらイキナリ怒り出していい自信”みたいな燃料が少なくて、一旦怒る準備が必要です。自分の心に対して「では今から怒ります。準備はいいですね?ついてきてくれますね?ちゃんと感情出してくださいね?あなたは今怒っていいんですからね?いきますよー…、3、2、1…」って頭が一旦指示と確認を出して、心をついていかせるイメージです。

私が最も信頼する評論家の1人がセクシャルマイノリティの自己肯定感についてコラムを寄せていたのを、そうですね、うん、そうですね、と思いながら読んだけれど、本当に、私はなぜ、自分のセクシャリティを含めて、当たり前のように「このまま居ていいよね」、「普通だよね」、と思わせてもらえないのだろう。こう打つだけで「だって普通じゃないから(笑)」と言われた声がちゃんと聞こえてきます。言われすぎて、もう誰から言われた時の声で再生されているのかもよくわからない。

愛するばあさんと幸せになりたい

正直、正〜〜〜〜〜〜〜直、なんかもう地球がホイミスライムなら可愛いよね〜って思うんだけど、現実にはホイミスライムで出来ていない地球があって地震も来るし津波も来るし台風も来るし山も噴火するし川があふれてきたし社会があっていろんな考え方の人が大勢いて難しい問題があって疲れてそれなのに今日も明日も仕事で仕事の合間に見るインターネットからは色んなニュースが垣間見えて同じ立場のはずの当事者からは「私たちは何も言えないからもっとたくさん意見を言ってください!こういうことも代弁してください!ああいうことも代弁してください!」って言われていやいやこれを私に送る時間と気力を使って一言でもあなたの近くの誰かに発信してごらんよ声の大きい人がずっと言ってるだけじゃ「あの人いつも喚いてるな」ってなるだけで「あ、当事者ってこんなに大人数いるんだ!?」にはならないんだよって思ったりまぁでもそうだよねカミングアウトは怖いことだね分かったよできる限り頑張るねって思ったり、それはそうと自分の家庭を切り盛りする必要が常にあるわけで仕事家事仕事家事仕事家事寝付く前の時間を使って強引にゲーム仕事家事仕事家事仕事家事…私はこれから先ずっと働かなきゃいけなくてこんなのがずっと続くのかと思うと何もかも嫌になる瞬間って、あるな…、ホイミ。こちとら何も考えないでアストルティアでメタルキングをつつきながら楽しく爽快に生きていきたいのに、絶え間なく苦しい話題が湧いてきますね。嫌だ。地球上の「もうめんどくさいからおわりにしよう」をかき集めて満タンになったら銀河系がスライムになっちゃえばいいのに。なんにもならないこと考えてる。毎日。私の預金口座に1000億円振り込まれて、いろんなことがいっぺんに解決したとしても、ここが私の生きていく世界で「同性愛を治せ」「あなたはあなたのままではいけません」って言われるのかー。
………。

スライムとモーモンがたくさん・レーナム緑野(DQ10)

ポヨッ… ポヨッ…
管理人が趣味で撮り溜めている野生のスライム
「ドラゴンクエストX」より

あーーーーーーもういやだ、いやだ!いやだいやだいやだいやだ!!!つかれたつかれたつかれた!!!!!!大したことは何もしてないけどとにかくつかれた!!!!
だけど地球はホイミスライムにはならないし銀河はスライムじゃないから、向き合わないと、世界は続いていくし、世代は変わっていくから、老後は平和に、きっと私がおばあさんになる頃は小さいメガネとかで眼前に画面が広がるようになったりしてるだろうから、視力の低下を気にせず『ドラゴンクエスト20』とか、キャッチコピー通りマジで「終わらないドラクエ」化した挙句レベルが1005とかまで上げられるようになって遂にルコリアさんがリゼロッタさんと自由に会えるようになった『ドラクエX Ver 50.0』とかを楽しくやるんだ、一生。それから私は私が愛した女性との幸せが続いてて、その頃には近所に「中村さんたちみたいに一生仲良しでいたいと思ってるんですよ〜」とか言ってくれる若いゲイカップルの家庭があって、私たちの子供たちはとっくに自立して実家を出ちゃったけどその家の子供が私がゲームをアホほど持ってるからって理由でめっちゃ遊びに来るから、やかましいけど毎日退屈しなくていいわ〜とかって思って、そうこうしているうちに「またゲームか〜!ダメだぞ〜!お父さんたちに言いつけるぞ〜」ってお隣の異性愛者夫婦のおばさんが笑いながらネオ回覧板を置いてって、遊びに来た子供は学校の課題で出た『尊敬する人』っていう作文で「近所のおばあちゃんはおばあちゃんひとりでドラゴンクエストXのサブキャラが40年かけて100人に増やしたと言うのでかっこいいと思いました。しかもバージョン3からリアルタイムでやっているので私はバージョン48からだから昔の人はすごいです。昔の人はメタルキングが出ると嬉しいと言ったので昔はいいモンスターがなにもなかったんだなと思ってかわいそうでした。畑の世話だけで1日が終わると悩んでいたので水やりを手伝ってあげたら100ゴールドくれたので、私はいらないどくけしそうをあげました」って書いて、絶対自分たちのことが『尊敬する人』の作文に書かれると思ってたお父さん達はマジでガッカリするみたいな平和な未来が来るといいなあ!と思って、向き合うハラを決めて真面目に動画を見ることにしました。ちゃんと見よう…。よし、世の中のところどころで何が起きているのかをちゃんと見よう。

そう思って、再生の、三角のマークを押しました。

命の軽い世界観に飲み込まれた

命の大樹の崩落(DQ11)

命の大樹が落ちて世界が荒廃する
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

テレビの討論番組から電話取材を受けたこの女性議員さんは、LGBTについて「学校教育で教えるべきどうかっていうことに関しての意見をください」と質問されたのに対し、「当然そんなものは必要ありません」と答えたのだそうです。そうしたら、テレビ局の人から「同性愛の子供は、ふつうに正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと」いう説明を受け(※テレビ局の方が“ふつうに正常に恋愛できる子供”と表現したか、別の言い方をしたかは不明です。)「それでもあなたは(LGBTに関する知識を教える授業は)必要ないって言うんですか、みたいなことを言われまして」…みたいな話でした。「太字の斜体」「動画の中で女性議員さんが実際に仰ったこと」の原文です。文字で起こしても印象が左右されない本文だけ抽出し、笑い声は収載していません。)

基本的に画面に映っているのは議員さん1人でしたが、フレームアウトしている男性と女性からも、相槌と、ところどころでハッキリと笑う声が聞こえてきます。
もちろんこの先も番組は続くのですが、同性愛者である子供は自殺率が高いという話の流れで全員から笑いが起きたことにビックリして、とりあえず一度画面を閉じました。
何を見てしまったんだ私は。
時間を置いて立ち上げたツイッターから流れてきた「横で笑ってるの誰?」というツイートにつられて、ああ、そういえば誰だろう…と調べて辿り着いたのは、大好きな『ドラゴンクエスト』シリーズの作曲家の名前が出演者・プロデューサーとして書かれた情報ページでした。

…えっ????

ゲーム日記ブログですし、この記事に限って言えばシルビアさんや『ドラゴンクエスト』シリーズと関係のあるお話だけにしたいので、実際の映像をご覧になりたい方や社会的・政治的論点で読み解きたい方は、別のサイト動画付きの報道を当たっていただければ…と思います。

参考 検索結果(本件の関連記事が複数あります)wezzy|ウェジー 参考 Politician Made Anti-LGBTQ Comments On Dragon Quest Composer's TV ShowKOTAKU 参考 This Japanese lawmaker doesn't think LGBT people deserve social welfare because they're not “producing” children.Al Jazeera:AJ+ @ajplus

ordinary lesbian

You can hear the sound of laughter by this program producer, Mr. Koichi Sugiyama. He also known as great composer of video game Dragon Warrior / Dragon Quest. I’m a big fan of Dragon Quest for over 25 years. This is the hardest news in my life as video game player. In 2017, Brave and chivalric travelling-performer who is looks like transgender appeared on Dragon Quest XI Echoes of an Elusive Age. His or Her name is Sylvando. *Japanese:Silvia. Until I watch this abominable program, I believed a new era is dawning.

検索で出てきたフルバージョンの動画にはオープニング曲があって、(歌詞は番組のテーマに沿ったものが乗っているんですが、)曲は、なんだかドラクエの街でかかっていそうな曲がついていて、ムービーを見ずに歌詞のない状態で聞いたら「ゲームの動画でも見てるのかな?」って勘違いする人も居そうなくらいで、そこだけは「…素晴らしい作曲家がプロデュースしてるだけあって音楽すごいちゃんとしてる…」って思って、これは私、同性愛者の子供の自殺率が高いっていう話と一緒に大人が笑っているくだりが収録されている動画のオープニング曲を聴いて「曲はさすがにいい…」みたいなことを思っているわけだから、おい当事者意識!!!私の当事者意識!!!心を留守にするな!!!って自戒しながら、もう一度、二度、三度、何回か、動画の当該部分を見て、「同性愛の子供は、ふつうに正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと」のくだりと笑い声を聞くうち、ある瞬間、涙の用意もないまま突然、ワアッ!!!!と、自分でも何が起きたか分からないぐらいハッキリ「おわあっ!!!ああ〜〜〜」みたいな声を上げて、泣き出した。
号泣みたいな号泣して、わあ〜〜〜わああああ〜〜〜ああああーーーーーーって、それからしゃくりあげながらシルビアーーーー!!!シルビアーーー!!助けに来てーーーー!!!!シルビア!!シルビア!!シルビア!!シルビア!!って、心の中で叫びながら、『ドラクエ』シリーズの世界で生きてた色褪せない時間を走馬灯みたいに思い出してた。
シルビアはこういう笑いで世界が満たされるのはダメだよね??なんでシルビアはあの素敵な曲と一緒に出てくるの??シルビアはあの曲をつけてもらう時、あなたの世界の音楽を作った神様からどう見られていたの?“おもしろいオカマだから無害認定してオッケー”みたいな、たまに見掛ける謎の親善枠に入れられて、伝統的な家族を壊しに来なそうって見做されて何も問われなかった??それとも曲を作ってもらってる時期、正常じゃない人のための曲作ってるって扱いだったりするの?でも公式の説明では「彼」と呼ばれていることが多かったあなたはどんなセクシャリティかの追及を回避して「中性的なファッションなだけです」ということで難を逃れることができた?とにかく、あなたが私の前に現れるまでに送った時間が健やかなものだったらなんでもいいけど、シルビア、シルビア!
シルビア!!うわー、私は、30過ぎて、ゲームのキャラクターの名前を心の中で叫びながら泣いてる、なにやってるんだろう、でもセーニャとベロニカは、きっとシルビアみたいな子供がいたら、「バカね、おかしなことじゃないわよ!ベロニカ様のお墨付きがあるんだから胸張んなさい!」「シルビア様、お姉様、それより私甘い物には目がないんです!」って“普通”じゃないシルビアみたいな子供を連れて、恥ずかしがることなく、胸を張って、一緒に街を散策したりするよね、あなたは普通なのよっていうことを毎秒証明するみたいに。マルティナはきっとロミアを助けた時みたいに、何がなんでも「はい(助けます)」って言うまで、ちょっと体を動かしたくなりながら、しつこく人助けを要求してくれるんでしょう。そしてシルビアは、そういう仲間たちと世界を明るくするでしょう????
ドラクエっていいゲームだよね!!?シルビアーーーー!!
30年前からきっとずっと同性愛者だった私が30年近く愛してきたあなたやあなたの仲間の居る世界の音楽を創った神様が同性愛指向の子供は死にやすいとか差別をなくすための教育は要らないっていう話を聞いて笑ってたけど、シルビア〜!私たぶん5歳ぐらいからドラクエやってるんだよ、もう25年以上なんだよ、じゃあ自殺率が高いことを笑われているまさにその歳の頃の私は、軽んじられるついでに笑われるような存在だったことも知らずに、あの「ドラゴンクエストが始まったぞ!」っていう、あの『序曲』を聴いて鳥肌が立って素晴らしさに震えたりしていたのかー!あっはっはっ。本当は自殺率の高さの話題が出ても差別をなくす教育は必要ないって主張が出ても笑って終わっちゃう世界があることに鳥肌立てて震えてなきゃいけなかったのに。あっはっはっ。……。とにかく、シルビア、助けに来て!抱きしめに来て!迎えに来て!助けてよ〜〜〜〜!!!!

しぐさ:つぼ・かんおけ(DQX)

「しぐさ」機能でツボとネタ用かんおけに引きこもる我々冒険者
「ドラゴンクエストX」より

そりゃクリエイターと思想信条が合わないとかは全然あるし、表の書き物が好きだから私生活のブログも読んだら「この人こんな私にとって苦手な感じの人なんだ」とか「ゲェこんなこと言うのか」とかあるし、逆に私だって私が書いたもの読んで「あなたの書いたものが好きです!」って言ってくれてた人が私の放った別の言葉を見て「こんな性格の人だったなんて失望しました」って送ってくるとかあるし、私のこれ読んで「へえ、この人ドラクエ好きなんだ?どんな人かな?他の書き物も読んでみよう!」って思って他のもの読んだ瞬間に私を仇のように嫌いになることだって可能性としてはあるかもしれないし、仮にその人がそれをインターネットに書いたとしたらそれを読んだ私が今度は「なんだこの人…わざわざこんなこと書くなんてマジでやなヤツだな…」って思うとか、そういうレベルのすれ違いはなるべくないほうが幸せだねと思うけど、あったらあったですれ違うこともあるねまあしょうがないねって諦めてるし、作品が好きだからってその人の人生すべてを愛せるとは限らないのが当然だって、そういうのは分かってるんだけど、だってさ、自分の妻や彼女になるような人との間でさえお互いに「ん!?こんな一面があったのか!!」って戸惑うことあるから。ものすごく多面的な性質を持っているから。そういうのはべつに最初から織り込み済みで生きてるけど、「同性愛の子供は、ふつうに正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと。それでもあなたは必要ないって言うんですか、みたいなことを(笑)言われまして」「(笑)」「(笑)」ってマジかよ、笑う!?
好きなクリエイターの人格が全員私の思い通り崇高ならいいなみたいな幻想を持ったり勝手に持ったマボロシの責任を相手に押し付けて「幻滅しました」みたいな批判するのとかマジで好きじゃないけど、さすがに子供の自殺率の話で満場一致で笑うとかはマボロシとか性格がいい悪いみたいな評価基準とまた違う次元すぎて、さすがの私もビックリしたし、「幻滅」みたいな、フワッとした幻が滅しましたって話じゃなくて、これは現実的な尊厳の消滅みたいなコースだし、ゲンメツってそっちの字かよ現滅なんて言葉ねーからな!たいがいにしてくれ!みたいな、どこをどうしたって特定の属性の子供の自殺率が高い話に笑いどころはないし、自殺率上昇を教育で防げそうなほど明らかに超明らかにどの属性の子供の話なのかハッキリしてるんだから教育していけばいいだけの話なのに、「このLGBTの知識を、学校教育で教えるべきどうかって」「(笑)」「(笑)」って、ええええええ!?なんかもうどんなテンションで反論すればいいかもわからないけど、ええええええええ!?笑う!?このポイントにピンポイントで笑ったんじゃないとしても、どっちみちこのトピックス扱ってるうちに笑う!?

なんか、えええええええ!?なんか…。
このブログ「私と同じ趣味の同じキーワードで辿りついた人だけ見てくれればいいや」と思ってやってるから書いてもまったく「ブログ更新したよ〜」みたいな告知していないせいもあるかもしれないし、自力で辿り着く人たちが検索するワードも既にプレイしてる人(…っていうか多分私と同じキャラクターにどハマりした人たちだよね?ねえ見てるんでしょ、マルティナ、リゼロッタ、ルコリアにズブズブになった人たち…。私知ってるからね、検索順位が低いこんな辺鄙な秘境まであなたたちがマルティナ、リゼロッタ、ルコリアの気配を求めて彷徨ってきたこと…。)って感じのワードばかりだから、私が何か紹介しても今更同じソフトを私のブログから買う人はほぼ居なくて、うちからゲームソフトを買いに行ってもらった利益が月あたり数百円になれば「お?この数少ない閲覧者の中から誰が私と同じゲームを始めてくれたのか?」って驚いちゃう規模で開設しているブログだから、(それに私も手弁当で当事者記事とか作ってて謝礼をお小遣い崩して払ってるような身だから…)これを読んだ各団体関係者は「うほ〜巨額の寄付が来るぞ!」みたいな期待はしないでほしいけど、明るい叛骨精神でドラクエ関連の収入があった時は全部、賛同できる内容のLGBT支援の寄付か、(エンタメ系以外の)LGBT関連記事の制作費や謝礼とか、当事者インタビューの場所代とか、理解の広がりそうな福祉活動や執筆活動に充てることにしますね。すばらしい『ドラゴンクエスト』シリーズの楽曲のおかげもあって出る利益で、〈“ふつう”じゃない、“正常”じゃない、LGBTへの“過度な”支援〉ができるように、アクセスアップを頑張りたいものです。

…なんて言ってみたけど、ただ、こんな話題が降って湧いてしまったせいで不本意ながら気分の重い話をしているけれど、本当はここは同じ趣味の人・好きなキャラクターで頭や心がいっぱいな人・同じゲームの攻略で悩んだ人が立ち寄ってくれるような、それでいて一番の目的は私が細々と楽しくゲームについて日記を書けるような聖域にしておきたいから、この話はここではこれ以上深追いしたくありません。なるべく。
30年近く愛してきた素晴らしい音楽が巻き添えになる話は正直苦しい。今日から突然嫌いになるなんてできないから。嫌いになる意欲はまったくないし、嫌う努力もきっとしない。こんなことがあってもまだ、なんて素晴らしい物語のために作られた美しく勇ましく明るく楽しく切ない音楽たちだろうと思うし、これを書いてる今でさえ何曲も聴いてる。習慣のようなもので、だって散歩に行く時は街の曲を、切ない絵を描く時は痛切なシーンの曲を、本当は遊びたいけど仕事の時はせめて耳だけでもゲームしよう、って冒険の書を選ぶ画面から村…洞窟…街…フィールド…教会…城…って進行順に組んだお気に入りのプレイリストをかけて。ただ、昨日までのように無邪気に聴くことはもうできないけど。
ああ、難しいことは知りたくない。知るべきだとしても。

私もしかしたら初めて、心の底から素直に、同性愛が理由で「生きてくことを終わりにしたい」って、心底初めて、自然に思ったかもしれない。この動画を見て。
セクシャリティが理由で「終わりにしたい」って気持ちがこんなに高い純度で湧いたこと、これまでなかったから、すごいなって思った。頭では分かってたけど、こういうのって人を命の淵に追い込んでいく効果があるんだね。体感した。
大人になっても、パートナーが居ても、恋愛を楽しんでいても、私を選んでくれた女性のことを愛していても、周りの友人が私たちの恋愛を祝福してくれる人ばかりでも、いろいろ持ってるのに「終わりにしたい」って思うなんて、贅沢な心の弱さだと思われるかもしれないけど、そういうことじゃなくて、「大事な人が居たら生き抜くはず」とか、絶対じゃないから。大事な人がいても、大事にされてても、他のところに理由が湧いた時は追い込まれたりするから。そういう引きずられ方をする時、誰が居ても一人。
「普通」「普通じゃない」「異常」「正常」って聞き続けているうちに、尊厳が守られない世界に足場を持って行かれた途端に、自分に誰かが居ることを、自分に生きてていい社会があることを、いっぺんに、本当に忘れてしまう瞬間が来て、さっきまでデスクトップにあった生きてくために必要なことが詰まってるファイルが突然すべて消えて拾いたくてもゴミ箱もなくて二度と開けなくなるような、どんなファイルが並んでいたかさえ忘れるような、だけど何かのファイルを開かないとこの本体はもう爆発します、みたいなアラートが出てて、でもファイルはみんななくなってしまった。孤独な真っ暗闇の感覚が来てしまうと、私は何もないただの生身の同性愛者だから、正常じゃないから、ふつうの人にはなれなかったから、私が守られない理由が今引きずり込まれた世界には確かにあって、私は無防備で丸腰で一人でそこに立ってて、自分と社会のつながりを忘れて、思い出すキッカケもないような静寂の中でただ「正常な人間になれなかった」と受け止めて納得して、誰の声も届かない状態で飲み込まれたような感覚になって、「終わりにしたい」って思った。思ってる。断続的にそういう瞬間が訪れて、引き返すっていうのを繰り返している。これ、私だけじゃなくて結構削れてる人居るんじゃないかと心配になるんですけど、みんな心を護りながらやりくりできてるのかな…。
命の存続の難しさが関わる話で笑われると、結構あてられちゃうんだね。
〈子供の自殺率〉〈子供を中心とした差別解消〉は「もし私が子供だったら」っていう受け止め方も並行してしまうから、そういう時に引き裂かれていくのは大人になったほうの私の心だけじゃなくて、子供だった時のまま残っている柔らかい心のほうもいっぺんにタゲられるんだ…って久し振りに目の当たりにしたかもしれない。

他のことで「終わりにしたい」と思ったことはたくさんあるし、ずーっと〈終わりにしたい衝動〉と〈社会に生きて残ろうとする自我〉が同じ体に同棲してて、今日も吊らずに生き延びた、あんなに使えそうなロフトの柱が毎日家にあるのに我慢できた、今日も吊らずに逃げ切った、私の体重支えられるワイヤーちゃんと持ってるのに我慢できた、今日も飛ばずに済んだ、マンションの8階に住んでるのに我慢できた、って、もう、ずっとそういうのがただの日常で、尿意みたいに自然と湧いてくるもので、予めこの感覚が同棲を始めちゃってる場合、それは出て行ってはくれなくて、後からどんな愛のある人が現れてもどんなに愛せる人がいても、〈私の心身っていう物件〉の管理人みたいに、外から届く情報を受け取る受付窓口の人みたいに、ほとんど毎日私の中にその衝動は住んでる。愛する人が今日できても昨日からひいてた風邪は突然治らないし、今日から人に愛されても先週折った骨は急にくっつかないし、いい人たちに恵まれて遂に「生きたい!」と思える人生が始まったとしても、終わりたがる自爆プログラムが組み込まれた心身を使って健やかに生きたくてたまらない人生に新しく取り組み始めるだけで、スイッチが突然カチッと入って世界が明るく見えるとかは元々ない。生きたい人生が終わりたがる心身を食い止めようと頑張る攻防戦を私はそれらの境界線として祈るように見守るだけ。だからべつに、改めて「終わりにしたい」とか思わなくても、元よりイヤ〜な崖の前を衝動や動揺をなだめながらウロウロする毎日だったし、今さら新登場してくる絶望感なんてないはずだったんだけど。そうでもなかった。
パーソナルなこと(犯罪被害に遭ったとか、子供の頃に守ってくれる大人が居なかったとか、育った場所では虐待を受けたとか、妻が亡くなったとか、信じてた人に大金を取られたとか、震災で貯金なくなったとか、病気とか、体調とか、いろいろ)では危うい状態が慢性的になった私でさえ「これまでとは種類が違うやつだ」と思って、怖かった。
パブリックなヘイトってこういうものなのか…って。番組っていう開かれた場所で、公に認められた人が社会の方針として差別と命の格付けを打ち出してくる、って、こういう景色なの?…ってビックリした…。

これは、たとえば「地上波ゴールデンタイムに流せますよ」が叶うとしたら、あの人たちはあの内容のまま流す判断をするのかな。それとも「さすがにそれは、地上波でやったら広く届きすぎて突発的に死ぬ子供が出るかもしれないので」みたいな意見も一応出るんだろうか…。
どの程度の内輪ノリで作ってるのかな、なんて考え事をしたりもしてる。

この軽んじられた感じを、逃げ出せる世界の少ない子供の頃に味わったら、そりゃ「ふつうに正常に恋愛できる子供に比べて」終わらせたくなる気持ちは高くなるし、その中で実行に移す子だって出てくるよ。
「大人になったら治るから」みたいなことを言ってたけど、仮にこれがLGBTのことじゃない、“治る何か”に関する別のイシューだったとして、「子供の間は苦痛に耐えろ」ってことには違いないからやっぱりキツイなと思った。

…ここまで書いて、いつものつもりで「私はドラクエとかに逃げられるからよかったな、趣味があって救われた」みたいなことを思ったりして、「あ、もう違うんだった。ドラクエには安心して逃げ込めないんだ、どこに旅しても私たちが死んでしまいやすい話や差別をなくさなくていい話を笑いながら聞いた人の曲がかかるんだった」ってなって、そうか30年も大切に持ってた心の逃げ場が突然なくなったんだなぁ、と暗い気持ちになる。
「たかがゲームで紛れる苦痛など」と思われるかもしれないけれど、何の気力も体力もない時に、ただ手元で操作するだけで、他の考え事ができて、しかも、ちょっと成功体験がもらえて、別世界で回復できるっていうのは、私にとって大事なんだ。体が動かせない病院のベッドで高熱が下がらない時も私を指先だけで遠くに連れてって駆け回らせてくれたのはゲームだし。

なんにしても動画やニュースを見過ぎて気分が変わった人は、いつもと違うなと思ったら少しSNSやめるとかインターネットは美味しい食べ物と可愛い犬以外絶対検索しないとか文字読まないとか、情報から距離を置きなね。見たくないものを見て問題と向き合うのは大人として大切なことだとも思うけど、心の健康を差し出して刺し違えるほどの価値を持ったものなんて何もないのだし。
「代わりなんかいくらでもいる」というのはネガティブなセリフとして使われることが多いけれど、自分を休ませるための回復呪文として覚えるのがいいと思います。誰かは言及してくれているし、休んだ後にまたちゃんと話したっていいし。その間は他の誰かが休むかもしれないし。残念ながらどうせすぐに片付く問題ではないから、ゆっくり。

さよなら私が心から楽しめたドラクエ

仲間の救出を指示するシルビア(DQ11)

仲間を救うために颯爽とマイ船で現れる
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

船長を務めるシルビアの仲間・アリス(DQ11)

シルビアの仲間は基本的に明るい(アリスちゃん)
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

私、改めて言うけど、『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽、大好きなんですよ。
大好き!
本当に大好き!!!!
大ッ好きなの!!!!!!!
ムドーに挑んだ時にかかる『敢然と立ち向かう』はスーパーファミコンのドット絵なのに、凄まじい世界にいる臨場感で震えた!マルティナと一緒に兵士に追われた時の『カタストロフ』はムーンブルクを思い出して、ああ何度も何度もこうやって何かに滅ぼされては、平和を取り戻してきたっけ、って荒れ果てたユグノアを駆け抜けながら追い詰められてるのに大丈夫、この勇敢な人たちと一緒にいつか元に戻すんだ、って思って、でもアーウィンは帰って来ないし、バクーモスやゲマのようなやり口は一生許せないと思う。デモンズタワーでジャミと戦った時にかかる『不死身の敵に挑む』は追い立てられるようで自分が今とんでもない強敵に挑んでいる緊張感があった。あの時私は自己肯定感を持ってたと思う。こいつを倒さなきゃ!私はこの世界で必要なんだ!ってあの曲を聴きながら。ムドーの城へ向かう時にミレーユさんが吹いた『奇蹟のオカリナ』を超える神聖な召喚はまだ聴いたことがない。あれから22年と半年も経つけど。そう思っていたら、レンダーシアを私の代わりに旅してる勇者の盟友があの音を吹いて竜を呼んだから感動した。「この音色に竜は反応するんだ!」笑われるかもしれないけれど、本気で歴史を感じた。クリアベールのジョン君『空飛ぶベッド』ありがとう、私も勇気のかけらを自分の中にある運命の壁を登って手に入れたいと思うけど。

「自分が“世界に居ていい”って思えるの、こういう感じなんだな」を、どれほど『ドラクエ』から感じたか分からない。いつも私に決定的に足りていなかったそれを補ってくれて、その後ろにはいつも素敵な音楽がかかってた。

カニ歩きする勇者でさえ真剣そのものの勇ましい姿に見えたのは『ラダトーム城』にあの荘厳な曲があったからだと思う。電子音だったけど、なんて重厚だったろう。あんな、だって、ファミコンだから、音質は最近の電気ポットがお湯沸きましたよーって教えてくれる時に鳴る音よりも表情のない機械の音なのに。
バルボロスの『渦巻く欲望』に晒されて、グレイナルが真っ直ぐこちらを見た時、そう、私はウォルロ村の守護天使だから生きなきゃ、と思った。
世界を見晴らせるような『木洩れ日の中で』過ごしたライフコッドを出て、『もう一つの世界』に出た時、一歩、一歩、一歩、一歩、リズムを刻むように始まって、雄大な山があって、その間も絶えず一歩、一歩、一歩、一歩、進むんだけどふと歩みを止めると風が吹いて木々が揺れていて、聴くだけでフィールドを歩いているような曲だった。
それから驚いたのは『対話』って明るくて弾んだものなんだなって思ったこと。レンドアもラッカランもプチャラオ村も、そっか対話があるとこんなに明るいんだなと思って、言葉の解釈が変わった1曲でした。もっと淡々としたものを指すイメージで凝り固まってたから。対話って楽しそうだなと思った。
『コロシアム』はこんなに落ち着いて研ぎ澄まされた戦意があったのかと思って喫驚した。戦いってもっと気の急く騒がしいものだと思ってたから。
焼き払われたとも知らずにサンタローズの村に帰ったら『さびれた村』になってて、曲が聴こえた瞬間に泣き出した。絵がなくても音楽だけで惨状がわかった。ああもう、故郷がないんだ、思い出の景色は帰ってこない、ってあの頃私は小学生だったけど、すぐわかった。離れ離れになったリゼロッタとルコリアが再会した時の『この想いを・・・』は聴くだけて胸が張り裂けそうになるし、ロミアとベロニカを見てると『哀しみを胸に』仕舞って、自分の存在を使い切って生き抜くのが、やっぱり一番正しいのかな、と考えたりする。
そんな気持ちになりながら、難敵を前にした勇者たちの前でかかる『暗黒の魔手』、人に憑依してたウルノーガが出てきた時にかかるけど、今回の一件も、あれだといいのに。動画で子供の自殺率の話を笑った直後にこの曲がかかって、カッと目を見開いて体をガタガタガタっと震わせたかと思ったら全員からウルノーガが出て来れば「なんだ、そのせいか」って納得がいって、悲しくなりながらも自分の眼前で起きたことに真っ向対峙しなきゃ、なんて思わなくて済むのに。
『失われた世界』は荒涼とした世界の向こうに光がひとすじ見えるように思えて先へ先へ手を伸ばしたくなるような、何があるかわからない世界をそれでも未来に惹きつけられて進みたくなるような曲だった。船が難破したレンダーシアでこのメロディーに再会した時は壊れてもまだ世界が美しく聴こえて涙が出た。

ただひたすら大好きでした。本当に。

新作やリメイクが出たら私はまだ買うと思うし、敬愛しているクリエイターさんやモーションアクターさんも関わっているし、ここまでのことがあっても多分私は『ドラゴンクエスト』シリーズからは離れていかない客だけど、安心して遊べた時代が、逃げ場として安らげた時代は、終了しました。さようなら。あの楽しかった日々にこんな形で別れを告げるハメになるなんて。

タイムマシーンが出来たら、子供の頃の私に会いに行ってやめさせるべきだろうかって考えてみた。「ファイナルファンタジーっていうのが面白いらしいよ」?「格闘ゲームで世界を目指さないか」?「そのうちモンスターを狩るゲームが出てくるからその時のために、確実に狙った場所に攻撃が入る指先の訓練を重ねておけ」?う〜ん…いろいろ考えたけど、やっぱり私は、子供の頃の私に会えても、こういう結末を知ってても「ドラクエいいよね!」って言う…。言うだろうな。「きみが大人になるまでずっとこのシリーズが続いて、本当にずっとずっと、素敵な人たちが大事なことのために戦う物語を見せてくれるから、可愛いモンスターもかっこいいキャラクターもどんどん出てくるから、素晴らしい音楽ももっともっと増えて、将来は電子音じゃなくて、オーケストラで流れてくるようになるから、楽しみに生きていくんだよ!」「1つアドバイスがあるとしたら、きみは『ドラゴンクエストX』っていうのが出た時、オンラインかよってムカついて一時期ちょっと嫌ってしまうんだ。でも、騙されたと思ってやってごらん!あとね、きみはまだ幼児で、言葉の意味を知らずにやってたけど、せきばん、は、大事なことが書いてある板。石で出来た板。たいまつ、は、火をつけて暗い場所を照らす木の棒。ひのきのぼう、は、檜っていう木の棒。ひのき、の、棒。切るところ、ヒノ、キノ、ボウじゃないし発音も、なんかその、コウラクエンみたいな発音じゃない。ヒノキノ、の部分、命の、と同じ発音。棒は棒。うん。そう。檜の棒。えっ、ゆうべはおたのしみでしたね、の意味?う〜ん、むずかしいな、でも将来きみの人生を助けにきてくれるお姫様が居るから、そのお姫様と、どうすれば楽しいか二人で考えてごらん。その人は自分もお姫様だけど、きみのこともお姫様にしてくれるよ。王子様?王子様はこない。お姫様がくる。」「お嬢ちゃん。どんなツライことがあっても 負けちゃダメだよ。」

これから私は、どう遊んでも、素晴らしいゲーム音楽たちと一緒に自分がしゃくり上げて泣いた声を思い出すのだと思うし、何を聴いても、動画の笑い声が蘇るのだとおもいます。

最初の街で目覚めても、世界を救っても、仲間達とエンディングを迎えても、思い出すでしょう。

今、イカダのようにしがみついているのは、「学校教育で教えるべきどうかっていうことに関しての意見をください」のところでは結構勢いよく笑っていた作曲家の先生が、「その、同性愛の子供は、ふつうに正常に恋愛できる子供に比べて自殺率が6倍高いんだと。それでもあなたは必要ないって言うんですかみたいなことを言われまして」の時は、他のお二方と比べたら笑い声のトーンが落ちたことです。笑った事実は消せないけど、トーンが落ちたということは、何か、「おいおいおいさすがに今のはどうなんだ?反LGBTと自殺率の軽視は違うんじゃないか?」と思った、みたいなことはないのかな、まあ、どのみち笑ってたんだけど…とか。
そういう考え事を結局私はずっと、『ドラクエ』に関することを思うたびに思い出すはずなので、これからは、世界を旅した思い出より、正常な人間に矯正するための笑い声ばかりを思い出しちゃうはずだから、本当に、手放しで楽しかった時代はこれで終わってしまったんだなと、茫然としています。

『ドラゴンクエストXI』1周年!

…いろいろありますが、おめでたい日がやってきますね!
大好きなゲームですから、嬉しいです。
ドラゴンクエストXI 一周年おめでとうございます!
もちろん細かいところ(「細かいところ」という表現に止めたのは忖度です)を挙げれば「これはさすがに…」という箇所もありますが…。
本人が乗り気という脈絡があったわけでもないのにセクハラ装備を着せてスケベな高齢男性に勇者自らマルティナさんを差し出すクエストをクリアしないとクエストコンプリートできないとかはキツかったです。命の恩人の、幼い頃に命懸けで生後間もない自分を守ってくれて、罪悪感で16年も旅と修行に費やして、その上で再会して、ユグノアの崖でも(マルティナさんは高いところが苦手と言っていたのに…!)飛び降りて、やっぱりまた命懸けで勇者を守ってくれて、そんな姉のような人を、勇者が差し出すって一体どういう了見なのか…。2度も命差し出した末に、誰だか知らないおじいさんに差し出されるってどんな仕打ちだよ?!おお勇者!良心や自制心ないのか!?なさけない!!!なんでも聞いてくれるからってお姉ちゃんに甘えすぎじゃない!?このクエストを無視するとクエストが埋まらないのが苦痛でした。
あと大した付き合いもなかったモブみたいな村娘(幼馴染の主張が激しくて怖かった…)と一択結婚イベントをしないとPS4でトロコンできないみたいな、心の自由を奪われるミニゲーム要素は残念だった…。あれはエマちゃん好きな人以外にはどうだったの…。DS版はそのあたり超良くできてて、性別問わず誰とでも結婚式(のリハーサル)できて最高だったけど…。
結婚したくない相手と結婚しないと評価が貰えない…評価を貰うということはリセットしてもセーブを消しても一度は結婚してしまった爪痕が残るということ…。マジでキツかったです…。たとえ記録は一切残らなくてもルドマンさんの家で他キャラに一言も話し掛けなかったタイプなので尚更…。というわけで残念ですが、迷うことなく、嫌すぎてトロコンは諦めました。
また、盟友であるはずのデルカダール王の愛娘に性的な目を向けるロウ様のれんけい技も見るに堪えないものでした…。「老いてもムフフ本見ちゃうくらい元気」を見せつけられる程度までならぜんぜん苦笑できますが、他国の姫君に他国の前王が興奮した姿を見せて憚らないなんて、さすがにヒキました。マルティナさんがこの勾配を素直に受け入れているのだとしたら、まだ子供だったマルティナ姫を育てたのは実質ロウ様なのですから、性的に自分好みに仕上げるというのは…かなりマズイと思います…。
ロウ様が「老いても元気」をデルカダール王の前で披露できないなら絶対させるべきではないし、デルカダール王も愛娘を見て興奮しパワーアップするような男を許すような地に落ちた父親になるべきではないと思います。何より私はロウ様大好きなので、本当に最悪でしたこれ。お色気ネタのために“性的に分別のない人格”を、娘と娘婿を想い続けて孫を心から大切にしているロウに押し付けて貶めるなんて…。それに、マルティナさんはロウ様にとってやっと巡り合えた孫の命の恩人です。そういう人柄や人間関係よりも、“でもいつまでたっても現役の男!”っていうのが大事なことなんですか?って、これは絶句しました。先のマルティナさんをひん剥いて知らない老人に差し出すクエストと揃っているせいで、この祖父にしてこの孫状態になってしまってエレノア妃もアーウィン王もマルティナ姫もデルカダール王も気の毒です。こういう面はもっと勇者とロウ様に誇りをもたせてほしかった…。それでもお色気を出さないと出荷本数が300万本から20本まで減るとかならともかく、ストーリーや、キャラクターや、音楽に、これほど力のあるゲームなんですから、もっとコンテンツに自信持って、属人的で相手のあるセクハラじゃなくて、もっと工夫した健やかなムフフを開発して欲しいです…。
そういう箇所はアレコレ目を瞑らないとならないので、「私いま、好きなものを好きっていうために、マズイ箇所をいろいろスルーしたなぁ…」という後ろめたさも何度も幾つもあったのですが…。

…はい!!!!!!!

…なにはともあれ、とにかく、明日はおめでたい日なのです。
1周年ですよ、1周年!

明日、私の大好きな『ドラゴンクエストXI』は1周年を迎えます。
おめでたいです。うれしい。もっともっとたくさんの人に遊んで欲しい。そしてマルティナさんにのめりこんだ人はブログでも開設して、どのシーンのセリフがよかったとか、ベロニカさんにハマった人は大樹前後の考察とか、そういうのをですね、是非、もっともっと読ませて…。
町の人の観察日記とか。

あと、モンドドは可愛いぞ〜。

ちょうど1周年を記念したコラボイベントがあるんですね。ここのところ仕事が忙しくて全然やっていないから気づいていませんでした。

参考 『 ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて 』発売1周年コラボイベント開催! (2018/7/14 更新)目覚めし冒険者の広場-ドラゴンクエストⅩプレイヤー専用サイト

昨年もらいそびれたパレード衣装一式+しぐさ書がもらえるとかで…超嬉しい…。私、マルティナさんの像と壁掛けDQXIの絵とギュッと時の化身が欲しくなって第2弾のコラボに滑り込んだクチなので昨年はシルビア装備にかすりもしなかったのです。
オルフェアに行くと居るんだって。サーカスの街だもんね。シルビア会いたいよ〜〜〜。よーし、落ち着いたら行こう。(心もだけど、仕事な。)

船上から仲間を助けるシルビア(DQ11)

必ず助けに来るシルビア
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

昨年の今頃は、ワクワクしていました。明日会える、明日会える、大好き、明日会える!と思いながら。仕事も家事もあるし、子供の頃の土曜日や日曜日みたいにすぐ遊べるわけでもないのに、それでも早く届いた箱を抱きしめたくて、開きたくて、待っていました。

Ole!Silvia!

シルビアの出した助け船に明るくなる仲間たち(DQ11)

シルビアが来てくれた時の仲間たち
「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて」より

今回話題になった動画は2015年の夏に公開された動画ですから、『ドラゴンクエストXI』の発売より2年前。
私はキャラクターの登場シーンと音楽開発がどんな進行管理のもと行われるかを知らないので、シルビアさんの存在・シルビアさんの人格・佇まいが固まったり、作曲が行われる時期から、問題視された動画が、どのくらいの距離にあるのか分かりません。
ただ、とにかく、そうか、シルビア、あなたはあの動画と並走した時代に作られていたんだね。多分あなたのような人も含めて軽んじられた、あの番組と同じ時代に。
あの明るい『オーレ!シルビア!』を纏って。

少しだけ早いけど、1周年おめでとうシルビア。歴代のキャラクターの中で最も“LGBT”に近い立ち位置に居るあなたが、よりによって難儀なタイミングで生まれてきたものだけど、これからも逆境に負けずに笑顔を貫く姿を見せてね。生まれてきてくれてありがとう、あなたの騎士道はきっと世界を救うわよ!と、思うのでした。私はその姿を見ながら、ちょっと今は、名前のところがかなりオレンジ色になっててMP0だし、どく、のろい、マヒ、なんだけど、回復したら少しずつ強く生きていきたいよ。

ダーハルーネで仲間を助けに来たシルビア(DQ11)

超ピンチなのに明るい
ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて