近況:本業やや忙しく、ゲームが1日0時間気味。

PS3:歌を楽しみたいだけだった。《AKB1/149恋愛総選挙》を終えて。

コーヒーとメガネが置かれたテーブルにゲームのコントローラーがある|Photo by Sabri Tuzcu (instagram.com/saber.shot)

わりとちゃんと48Gを追っているほうなので『AKB1/149恋愛総選挙』(バンダイナムコゲームス)も発売日に買っては…みたものの…。酷な…ゲームで…私はちょっと…うう…。「買ったからには」という『ゲーム』に対する義務感と、「収録された映像や写真を観てみたい」という『出演者』に対する関心とで、ヒマを見てやっているんですけど…ちょっとやっぱ…心苦しいゲームですね…。

ザックリと概要を言うと、主人公(自分)が、AKB48、SKE48、NMB48、HKT48のメンバー全員に好意を持たれてガンガン告白されたりアプローチされる中、たった一人だけ選んで、あとは片っ端からフる、みたいな、仮に「48Gメンバーに言い寄られてみたい!」とか「塩対応したアイツをこっぴどくフってやりたい!」みたいな願望があるとしたら夢のような…しかし夢でしかない恋愛シュミレーションですらない妄想の具現化ゲームみたいなキャバクラのゲーム化みたいなものなんですが、べつに拒絶したいという意思がない人にとってはすべてが苦行なのでは…?と思いました。

ゲーム性は大したことなくて、選択肢に対してボタン押すだけなのでレビューしません。ちょっとどうかと思うほどなんのゲーム性もなくて、ちょっと操作できる動画と静止画集という感じ。(ロードやセーブが長いので時間泥棒仕様です。合間に他のことやってないと苦痛を感じるレベル。「AKBグッズだから」と思うと目立たないけど、ゲームとして生まれたゲームだったら許し難いレベル…。)

これ、う~ん…!

べつに実際フッてるわけじゃないので、告白に対する拒絶を心苦しいと思ってるとか、そういう身の程を思い違いした心苦しさではなくてですね。だってべつに私はメンバーに告白されているわけではないし、これはそういう仕組みのゲームなので。ただなんか、こういう消費の仕方ってなんか、すごいっていうか、「常規って何だっけ」って考え事をしてしまった。だけどそれは、総選挙や握手会の仕組みに慣れて受け容れてしまっている自分が、この消費の仕方(生身の女性がフられ役として出てくるゲームをする)に関しては慣れてないから「これはいいのか!?アリなの!?大丈夫!?」って思うだけで、外から見たら握手会や総選挙のためにCDをたくさん買って一喜一憂している姿だって握手会の列や総選挙の結果で“女の子”たちに優劣つける引き金をバンバン引いてる姿だって充分に変なのか。……………………………か?どう?私もうわかんないや。
すべてにおいて「出ている人が正常な社会人的判断力をもって合意の上で自発的に出ている」のであれば、それは職業選択として尊重しようよ(但しその人が将来的に「あの頃は正気じゃなかった」と言うのであれば、可能な範囲で彼女たちが処分されたいと思っているものを処分して、かつ、消費的な娯楽に興じたことを詫びて悔いる気持ちをこちらも受け入れなければならないね)とは思っているんだけど、それ以上のことは考えた上で「私はこう思っていて、世の中こうなるべきだと思う!」みたいな結論を絞ることができない。

出てくる人たちのことは応援しているから、そりゃあゲームの画面を通して姿を見たり声を聞けば嬉しくなるんだけど、ゲーム自体に対しては我に返ると真顔で考え事してしまったよ。
仕事でやってることだからべつに出る側はそんなに気にしてないのかな。知る術もないけどそれぞれどういう気持ちで出てるんだろうって思って。これに出る気持ちのインタビューがあれば今一番読みたいけどそれもまた彼女たちの仕事のあり方まで消費し尽くしている気がして考えれば考えるほど具合が悪い。

このゲームに対して「(出るほうの)人の心を踏みにじる可能性があるから」という理由で”よくない”を唱える気持ちはまったくない。表舞台に出る人は少なからず本音を隠して暮らすことを強いられるし、それに甘えて私はAKBはじめ48グループのやることなすことをコンテンツとして愉しめてきたことだって(私が無自覚のうちに)あったはずだ。
それらすべてが彼女たちの不本意とも思わないし、行ったことがすべて本意ともとてもじゃないけど思えない。誰かにとってやりたくなかった仕事っていうのは必ずあったと思うし、それを喜んで享受するファンとしての私も居たと思う。私たちファンが応援している仕事が、誰かにとっては本当に応援されたい仕事だったこともあったと思う。全部それぞれ、バラバラに、ちぐはぐに、個別に、いろいろ、あったと思う。
表舞台の人に対して「すべてを受け容れろ・我慢しろ・心を出すな」とは一切思っていないけど、それでも「あなたたちの我慢のお陰でファンは楽しいから、我慢が限界でないなら、そういう仕事だし、悪いけど我慢してね。頑張ってね。」ぐらいの残酷なことは、時々思ったりもする。言い換えればそれは「甘ったれるな」みたいな意味でもあって、私が芸能界の近くで(裏方として)働いていて、好きなことだけやって勝ち上がった人を未だ嘗て見たことがないから、なんか「我慢はつきものだからね」って無意識のうちに思ってしまう…?のかも?という属人的な事情もあるかもしれない。アイドルファンの風潮という文脈以前に。人間的正義よりも業界的正義を取るのであれば「夢が途絶えてもいいなら、好きなことだけやればいいけど、この世界で残ることを本気で考えるならどうせ色々我慢しなきゃいけないんだから」というのが罷り通っていて、そういう体質をほとんど諦めながら眺めて働いている私は、どこかであっけらかんと「ありがとう」と思っている。気がする。「みんなが頑張ってる姿見ると元気っていうか、耐える気でるよ」みたいに。単純なファンとして感じる「かっこいい!」「がんばって!」「歌い方が好き!」「演技が好き!」「応援してるからもっといい仕事取ってね!」以外にも彼女たちが(もしかしたら嫌々ながらに)頑張る姿に「あなたたちも何か諦めながら何かをもぎ取りに行くことがあるでしょう?嫌な仕事をこなしながら、本当にやりたい仕事にたどり着くために」と思いながら、諦めを許されているような気持ちを勝手に感じて、頑張る意欲を作っているところもあるのかも知れない。
…とかなんとか並べてみたところで、平たく言えば独善的な感謝をしながらも、このゲームで遊んでいる時点で、なんていうか、ファンとしてはセーフでも、アイドルを消費していいのか、という論題においては結構NG側で、そこのところに異論はない。なんなら、(ファングッズのコレクションとして無差別に)買ったくせに、(内容を精査した上では)「こんなゲーム作らなきゃいいのに」とさえ思った。

たとえば、私はまだ握手会には行ったことがないけれども、握手会に行って握手をさせる/してもらうということも我慢の強制になりかねないと思うと、まだ行ってみようという決心はつかない。(でも一度は行ってみたいし、なんだかんだ言って行くはずだけど。)
勿論向こうだって商売だから長蛇の列ができたり、熱烈なファンが居たら張り合いはいいだろうけど、私が並べば並ぶほど握手しなきゃいけない人数は増えてしまうし、もしも「この人やだな」と思われたら、それでも握手をさせるということは我慢の強制にほかならない。
アイドルの我慢で消費者が夢を見ていられるっていうのは絶対あるし、それでもきっと私は握手して欲しいから行くんだと思うと、応援も我慢の強制も表裏一体過ぎて、相手を想うのも私の我を通すのも応援も張り合いも興味もワガママも投資も悪循環の再生産も、或る意味において・アイドル市場に於いて・私にとって、同じようなことになってしまって、なんだかもう業の深さに発狂しそうになる。

まあこのゲームに出ることをべつに嫌がっていない人も結構居るよねきっと。嫌だった人も結構居るだろうし。このゲームが楽しいファンも居れば、若い女の人たちがこういうビジネスに挑む姿に対して尻込みする人も居るだろうし、私のようにこのゲームは楽しめないけど自発的にこういうビジネスに挑む人たちのことは応援していてゲームは買うけど楽しめないけどやるけど悩むけどウワー!みたいな言動や思想が乖離しているタイプも居ると思う。

物凄く機械的なキャバクラがお茶の間にあると思えばいいのか。どうだろう。

このゲームも消費型のアイドルビジネス仕組みの一角でしかないとは思うんだけど、でも、なんかさ、それとはまた別の文脈でもウウッ…って思ってて、だって、恋愛って(多くの場合は)一大事じゃない。
告白するなんて。それを実在人物を巻き込んだゲームとして活用するって、ある側面からは握手や総選挙を軽く飛び越えたことで、ゲームの設定や概要がどれほど現実離れした虚構であっても、でもなんか、すっごいな~、なんだこれ…と思っちゃったの。
物理的・直接的な有害性はこのゲームが一番低い(というかゲームを介して物理的・直接的なことが起こしにくい)と思うけど、なんか、見ていてこっちも抉られるというか…。
これと同じ抉られ方は前にもしたことがあって、メンバーと作った子供の顔を見られるAKBabyっていうサービスのとき。AKBのプロバイダーサービスと連携した何かだったかな、大島優子さんが「私と赤ちゃん作らない?(ネットでね。)」というコピーと共に授乳中のようにシャツを捲り上げ(られ)て赤ちゃんを抱え(させられ)た広告写真を見て卒倒した。
「授乳はエロいものじゃありません、エロいと思ったあなたが性的にみているからです」っていうのは育児をしやすい環境づくりの文脈では正しいんだけど、大島さんが被写体を担当することになったこの広告はそもそも実際の授乳じゃないし、エロい感じに見えるようにサービスショットとしての育児ネタを仕込んだ広告だったわけで、大島さんだってプロだから何らかの合意と取れる形の確認はあったのかなとは思うけど、プロってべつに何も断らない人のことではないし、何か嫌がったらプロ失格っていうわけではないし、そこまでさせる必要あるんだろうか、必要はないだろう、ただ、すごいことをどんどんメンバーに提案する人たちが多いだけで…ってさすがに辛くなった。
元気が出る歌をたくさん歌ってくれる歌手として、或いは、マジすか学園みたいな面白いものを観せてくれる演劇集団として楽しみたい、っていう気持ちを再確認した。その範囲で活動している限り、彼女たちを消費することにほとんど苛まれなくて済むのだから。

あと、このゲーム、恋愛シミュレーションだから完全にこっちがフられ役だと思っていた。『1/149恋愛総選挙』の意味を、ただこっちがフられながら一途に推しを応援するような(そしてちょっと親しくなる形で攻略するような)ポジティブなゲーム性が実装されていると解釈していて、まさか148/149を拒絶する遊びだとは思わなかった。前情報をもっとちゃんとした精度で持っていたらこんなに後ろめたい経験を負わずに済んだかな…。う〜ん…。

出演したメンバーの中にも、将来、妻や夫を選ぶ・妻として妻や夫に選ばれる日を迎える人がいると思うけど、そういう時に、ゲームとは言え疑似恋愛の的にならざるを得なかったこの職歴の1つを笑い飛ばせるような状態だといいなと身勝手なことを思っている。恋愛遊びの的にされることと、(消費していい女の子たちのファームではなく)崇拝されるアイドルでいることは絶対に違うと思うし、彼女たちが望む人気や成功が後者の後者であれば、ファンから高潔を保証されたアイドルになって欲しいなとゲームをしながら思い直した。

「後味悪いか」って言うと、コンテンツのパーツ単位の後味は、べつにそんなこともないの。セリフは可愛いし、好きなメンバーも居るし、楽しい。コンテンツとして見てる分にはいいんだけど、ただ我に返って、商売としてこれを見たときに、「大変なお仕事だな」「アイドルは崇められるんじゃなくて、ここまで地に降りなければならないだろうか?」と思っちゃって、で、それって結局この市場があるから生じることなんだよなと思うと業の深さに怖じ気づいてしまうのね。
それでも色々買うんだけどさ。応援してるし、好きだから。ちゃんと欲しいな、あなたたちが頑張って働いた記録を、って。彼女たちの我慢を増やす(可能性がある)分にも、そう思っちゃう。
で、結局そうやって夢を見てる時間(大好きな歌を歌ってくれる人たちのグッズがそばにある状態)っていうのが私にとってはとても幸せで、自分の幸せのために、自分より(精神的にはきっと私なんかより成熟しているだろうけど、実年齢は)幼いお嬢さんたちに対して我慢を当然のようにさせている(であろう)自分も居て、怖いなと思うわけ。自分のこと。でもこれを私は「応援しています」って呼んでるんだよね。

もし彼女たちの中にこの仕事を「好きで本当に本意でやっている」っていう人がいるなら、もろ手を挙げて「がんばってー!応援してるよー!きゃ〜っ!」って思うし、「嫌だけど目的のために本当に本意でやってる」っていう人がいるなら、やっぱり「その忍耐と努力は心の底から応援しているからね」っていうのは強く思う。
だとして、こういう形で女性性を消費するだけに留まらず、生身の誰かを恋愛の疑似体験に使うというのはあまり歓迎されるべきではないと思うので、私はもうこういう、生身の人の感情を巻き込むようなゲームは二度と遊ばないと思う。

AKBは昨年DS向けで『AKB48+Me』っていうのを出してて、そっちは一応メンバーのMiiも登場して交流もあるんだけど、自分のMiiがメンバーになって(私がAKBになれるわけねーだろって笑いながら)歌って踊って、そのためのレッスンを重ねたりするライトな音ゲー(しかもゲーム用のオリジナル曲まであった!!!!)なんです。そういう、ただ明るく歌手としてのAKBを楽しめるのがいいなって思いました。特別感も、メンバーに告白されて振りまくる体験とかじゃなくて、「このゲームを買ったファンだけがこの曲を聴けるんだ!」っていう明るいだけの体験がしたかったです。
そもそも「応援している人たちを拒絶する」っていうのが楽しいことではないし。